吉川英治『三国志(新聞連載版)』(837)破軍星(二)
昭和17年(1942)6月17日(水)付掲載(6月16日(火)配達)
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別れに臨んで、孔明は、張飛に忠言した。
「蜀には、英武の質が多い。貴下のごとき豪傑は幾人も居る。加ふるに地は剣山刀谷である。軽々しく進退してはならない。またよく部下を戒め、かりそめにも掠(かす)めとらず虐げず、行く毎(ごと)に民を憐(あはれ)み、老幼を馴(なづ)け、唯(たゞ)、徳を以て衆に臨むがいゝ。猶(なほ)又(また)、軍律は厳かにするとも、猥(みだ)りに私憤をなして士卒を鞭打つやうなことはくれぐれ慎まねばならぬ。そして迅速に雒城へ出で、めでたく第一の功を贏(か)ち取られよ」
張飛は拝謝して、勇躍、さきへ進んだ。
彼の率ゐた一万騎は、漢川(カンセン)を風靡した。しかし、よく軍令を守つて、少しも掠奪や殺戮の非道をしなかつたので、行く先々の軍民は、彼の旗を望んでみな降参して来た。
やがて巴郡(重慶)へ迫つた。
蜀の名将(メイシヤウ)厳顔(ゲンガン)は、老いたりといへど、よく強弓(ガウキウ)をひき太刀を使ひ、また士操凛々たるものがあつた。
張飛は、城外十里へ寄せて、使を立て、
「厳顔老匹夫。わが旗を見て、何ぞ城を出て降(くだ)らざるや。もし遅きときは、城郭をふみ砕いて、満城を血にせん」
と、云ひ送つた。
「笑止なり。放浪の痩(やせ)狗(いぬ)」
厳顔は、使の耳と鼻を切つて、城外へ抓(つま)み出した。張飛が赫怒(カクド)したことはいふまでもない。
「みろ。けふの中にも、巴城を瓦礫(グワレキ)と灰にしてみせるから」
真先に馬をとばし、空(から)壕(ぼり)の下に迫つた。
けれど、城内は、城門を閉ぢ、防塁を堅固にして、一人も出て戦はなかつた。のみならず、矢倉から首を出して、さん/゛\に張飛を悪罵したので、張飛は、
「その舌の根を忘れるな」
と、日没まで猛攻をつゞけた。
然し、頑として、城は陥ちない。無二無三、城壁へとりつゐて、攀(よ)ぢ登らうとした兵も、ひとり残らず、狙ひ撃ちの矢石(シセキ)にかゝつて、空(から)壕(ぼり)の埋め草となるだけだつた。
張飛は、そこに野営して、翌日も早天から攻めにかゝつた。すると矢倉の上に、老雄厳顔が初めて姿をあらはして、
「先頃、使の口上で、満城を血にせんと云つたのは、さては、寄手の血漿(ケツシヤウ)を以て彩ることでありしか。いや見事々々。御苦労々々」
と、からかつた。
張飛の顔は朱(シユ)漆(うるし)を塗つたやうに燃えた。その虎髯(とらひげ)の中から大きく口をあいて、
「よしつ。汝を生捕つて、汝の肉を啖(くら)はずにはおかんぞ」
云つた途端である。
厳顔の引きしぼつた強弓の弦音が朝の大気をゆすぶつて、ぴゆつと、一(イツ)矢(シ)を送つて来た。張飛が、
「呀(あ)つ」
と、馬のたてがみへ、身を伏せたので、矢は彼の甲(かぶと)の脳天に撥(は)ね返つた。
幸にも、鉢金は射抜けなかつたが、〔ぢいん〕と烈しい金属的な衝撃が脳髄から鼻〔ばしら〕を通つて、眼から火となつて飛びだしたやうな気がした。
さすがの張飛もふら/\と眩暈(めまひ)を覚えて、
「けふは不可(いか)ん」
と、匆々(サウ/\)、後陣へかくれてしまつた。
「なるほど、蜀には相当な者がゐる」
張飛が敵に感心したことはめづらしい。然し、敵を尊敬することに依つて、彼も、たゞ力づくな攻城がいかに労して効の少いものかを教へられた。
城の一方にかなり高い丘陵がある。こゝに登つて彼は城内を窺つた。城兵の部署隊伍は整然としてゐて甚だ立派だ。張飛は、声の大きな部下を選んで、ここゝからさまざまな悪口(アクコウ)を城中へ放送させた。
けれど、城の者は、一人も出て来ないし、対手にもならない。
誘ひの兵を少しばかり近づかせて、偽つて逃げる態(テイ)をなし、城兵が追つて来たら、忽ちこれを捕捉し、またそこの門から一気に突入しやうなどゝいふ計画も行つてみたが、
「彼の戦法は、まるで児童の戦(いくさ)遊び、抱腹絶倒に値する」
と、厳顔は、一笑の下に、その足搔(あがき)を見てゐるだけで、張飛の策には〔てんで〕乗つて来ないのであつた。
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