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前回はこちら → 落鳳坡(一)
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龐統が落馬したのを見て、玄徳は馬から降りて、彼を扶(たす)け起した。
「軍師、なぜこんな癖の悪い馬に乗られるのか。馬を換へては如何(いかが)」
龐統は腰を撫でゝ起きあがりながら、
「年久しく乗り馴れてゐる馬で、曽(か)つてこんな悪癖を出したことはないのですが」
と、首を傾けた。
玄徳はふと眉を曇らせた。出陣に臨んでこんな事のあるのは決して吉兆ではない。自身の乗用してゐた素直な白馬の手綱を曳いて、
「軍師。これへ乗つてゆくがいい。これなら過(あやまち)はない」
と、彼に贈つた。
君恩のありがたさに、龐統もこの時ばかりは眼のうちに涙をためてゐた。拝謝して、白馬に乗換へ、こゝで玄徳と別れて道を北の大路(おほぢ)へとつた。
後に思ひあはせれば、進撃に易しい大路へ向つたのが、却(かへ)つて龐統一代の大禍の道を選んでゐたのであつた。
蜀軍随一の名将張任、蜀中の勇将呉懿、劉潰(ママ)などの将軍たちは、さきに味方の冷苞を討たれて、遺恨やるかたなく、雒城の内に額をあつめて、一意報復を議してゐたが、折から前衛の斥候(セキコウ)隊から、玄徳の大軍が南北二道にわかれて前進して来ると伝へて来たので、
「御座んなれ。この時」
と、ばかり、張任は各将軍と手筈をさだめ、自身は何か思ふところあるか、屈強な射手三千人を選(よ)りすぐつて、山道の嶮岨に伏せ、斥候(ものみ)の第二報を待ちかまへてゐた。
「見えました。確(たしか)に」
やがて、斥候(ものみ)頭(がしら)が喘(あへ)ぎ喘ぎ、ここへ来て張任へ告げた。
「御推察にたがはず、これへ向つて来る敵軍の大将らしき者は、正しく鮮やかな月毛の白馬に乗つてゐます。今しも、その大将の指揮の下(もと)に、敵全軍は、炎熱を冒(をか)して、〔えいや〕/\とこれへ攀(よ)ぢ登つてくる様子で——」
聞くと、張任は、
「さてこそ!」
膝を打つて歓んだ。
「その白き馬に乗りたる者こそ紛れもなき劉玄徳。これへかゝらば、白馬を目じるしに狙ひを蒐(あつ)め、矢数(やかず)石弾(いしだま)のあるかぎり浴(あび)せかけろ」
と、三千の射手に命じた。
射手は、心得たりと、弩弓(ドキウ)を懸(かけ)つらね、鉄弓の満を持し、敵の来るも遅しとばかり待つてゐた。
——時は、夏の末。
草も木も猛暑に萎(な)えて、虻や蜂のうなりに肌を刺されながら、龐統の軍隊は、燃ゆるが如き顔を並べて、十歩攀ぢては一息つき、二十歩しては汗をぬぐひ、喘ぎ/\踏み登つて来た。
そのうちに、ふと前方を仰ぐと、両側の絶壁は迫り合つて、樹木の枝は相(あひ)交叉(カウサ)し、天もかくれるばかり鬱蒼たる嶮隘(ケンアイ)な道へさしかかつた。
陽(ひ)陰(かげ)に入つて、龐統は、ほつと肌に汗の冷(ひえ)を覚えながら、
「おそらく、こんな嶮(けは)しい山道は、蜀のほかにはあるまい。こゝはそも、何といふ地名の所か」
と、途中で捕虜にした敵の兵にたづねた。
降参の兵は、言下に、
「落鳳坡とよび申し候(さふらふ)」
と、答へた。
「なに、落鳳坡?」
龐統は、なぜか、さつと面色を変へて、急に馬をとめた。
「わが道号は鳳雛といふ。落鳳坡とは、あら忌(いま)はし」
彼は馬を向け直した。そして遽(にはか)に全軍へ向つて、
「もどれ。もどれつ。道を更(か)へて、ほかから越えろ」
と、鞭をさしあげて振つた。
その鞭こそ、彼自身、死を呼ぶ合図となつてしまつた。
突然、峰谷々も崩るゝばかり石砲(セキハウ)や火箭(ひや)の轟きが谺(こだま)した。
「呀(あ)つ」
身をかくす隙(ひま)もあらばこそ、矢(や)風(かぜ)の中に嘶(いなゝ)いた彼の白馬は忽ち紅(くれなゐ)に染まり、雨よりしげき乱箭(ランセン)の下に、あはれむべし鳳雛先生——龐統は、稀世の雄才をむなしく抱(いだ)いて、白馬とともに斃(たほ)れ死んだ。時、年まだ三十六歳の若さだつた。
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次回 → 落鳳坡(三)(2026年6月13日(土)18時配信)

