吉川英治『三国志(新聞連載版)』(832)短髪壮士(二)
昭和17年(1942)6月11日(木)付掲載(6月10日(水)配達)
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蜀に入る前は、蜀は弱しと聞いてゐた。国に人物なしといふ評も信じてゐた。ところが、案外である。士卒は強く、人材は多い。
真の国力は、その国に事が起(おこ)つてみないと分らない。
龐統はふとそんな事を感じながら、客の永年にあらためて礼を施し、また法正をも誘つて、
「せつかく先生の来臨。劉皇叔にもおひき合せしたいが」
といふと、法正は、
「どうだね永年。涪城まで行つてくれるか」
と、友に訊く。
永年はきつぱりと、
「行くとも、云ひに来たのだ。玄徳に会へるならなほ張合がある」
と、云ふ。
三名は連れ立つて、早速、涪城へ上つた。玄徳に会ふと、永年は忽ち胸をひらいて云つた。
「この眼で小生が観るところでは、涪水の線にあるお味方は、実に、危い死地に曝(さら)されてある。あれは御承知の上のことか」
「黄忠、魏延の二陣をさして仰せあるか」
「もちろん」
「危いとは、何故ですか」
「あの辺一帯の平地は、広茫(クワウバウ)として、一(イチ)目(モク)にちよつと気づかれぬが、仔細に地勢を察するなら、湖の底にゐるも同じだといふことがわかるはずだ」
「え。湖の底に」
「されば、涪江の流れは、数十里の長堤に防がれてをるが、ひとたび堤を切らんか、水は低きに従つて、あの辺り一円深さ一丈餘の湖底と化し、一人も助かるものはあるまい」
玄徳は驚いて、龐統もさすがにすぐ覚つた。
「よくぞ御忠言下された」
敬つて、彼を幕賓となし、すぐ早馬をやつて、魏延、黄忠の陣へ、
「堤防に心せよ」
と、警報した。
かういふ注意があつた為、魏延の陣地でも、黄忠の方でも、聯絡を密にして、昼夜巡見を怠らずにゐた。
その為、雒城の鋤(すき)鍬(くわ)部隊は、毎夜のやうに堤防を窺ふが、どうしてもこれの決潰に手を下すことができない。
とかくするうち一夜、雨風が烈しく吹き荒(すさ)んだ。
「こよひこそは」
と、五千の鋤鍬部隊は、墨のやうな夜をひそかに出て、涪江の堤(つゝみ)に接近し、無二無三、堤を決(き)つて、濁水を地に漲(みなぎ)らせんと働いた。
ところが、思ひもよらず、うしろの方から、突如として伏兵が起(おこ)つた。暗さは暗し、敵の行動も人数もわからずで、鋤鍬部隊の五千は、同士(ドウシ)討(うち)を起すやら、方角をちがへて後戻りして来るやら、大混乱の中に、この夜の大将であつた冷苞も見失つてしまつた。
冷苞は、逃げ走る途中、魏延に待たれて、又々彼の手に生捕られてしまつたのだつた。
蜀の呉蘭、雷同の二将は、それと知つて、彼を奪(と)り返すべく、雒城を出て追ひかけたが、道に、黄忠の待つものあつて、これまた散々に追ひ退けられてしまつた。
で、冷苞は、翌る日ふたゝび捕虜として、涪城へ送られた。
玄徳は、彼の不信を責(せめ)て、
「予は、足下に武人として礼を与へ、また足下(ソクカ)に仁義をもつて宥(ゆる)した。然るに、汝はその反対なものを以て予に酬いた。いまは汝の首を斬るも、一匹の蠅をたゝくほどな憐愍(レンミン)も感じ得ない」
云ひ渡すと、すぐ将士に渡して城外で、首を刎(は)ねさせた。
魏延、黄忠へは、賞状を送り、幕賓の永年には、結果を告げて、
「実に、あなたの一言は、わが軍に幸した」
と、あつく礼遇した。
この前後、荊州から馬良が使に来た。馬良は、荊州の留守をまもる孔明の命をうけ、その書簡を肌深く秘めて遙々(はる/゛\)齎(もたら)して来たのであつた。
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