吉川英治『三国志(新聞連載版)』(829)魏延と黄忠(三)
昭和17年(1942)6月7日(日)付掲載(6月6日(土)配達)
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黄忠勢、魏延の勢、殆(ほとん)ど一軍のやうに、やがて敵前に、先鋒の備へを立てた。
魏延は、物見の兵に訊ねた。
「どうだ。黄忠の軍勢も、もう布陣を終つたか」
「整然と終つてゐます。夕刻を過ぎてから、ふたゝび兵糧を炊(かし)ぐ煙があがつてゐましたから、察するに、深更、陣を払ひ、左の山路をとつて夜明に敵へ攻めかゝらうとしてゐるのではないかと思はれます」
「そいつは、油断がならぬ。愚図愚図してゐると、黄忠に出し抜かれよう」
魏延の眼中には早、敵はない。だが味方の黄忠に先んじられて、味方の者に面目を缺くことのみいたく惧(おそ)れた。
いや、黄忠を押(おし)のけて、独り功名を誇らうとする気ばかり募つた。
「わが隊は、二更(こう)に兵糧をつかひ、三更にこゝを立つぞ」
魏延の命令は、士卒たちの豫想を超えて、ひどく急だつたから、一同は大いに慌(あわ)てた。
元来、涪城を発するとき、二将は玄徳の前で、あらかじめ作戦の方針を聞き、
(黄忠は敵の冷苞に当り、魏延は鄧賢の陣を突破する)
と約束して来たのであるが、ここに来てから魏延の思ふらく、
(それだけでは、さまでの功ともいへない。自分一手で、冷苞の陣も破り、続いて、鄧賢の軍も粉砕して、老黄忠の鼻をあかしてくれねばならん)——と。
そこで彼は、遽(にはか)に、陣払ひの時刻を早め、道も更(か)へて、黄忠の進むべき左の山へ進路をとつた。
夜どほし山を踏み越えてゆくと未明に敵陣が見えた。
「見ろ。敵は霧の底にまだ眠つてゐる。一気に蹴やぶれ」
どつと、山を離れて、敵営へ迫つた。
「来たか、魏延」
思ひがけなくも、敵は八文字に営門をひらいて、堂々、彼の軍を迎へ一斉に弓鉄砲を撃ち出した。
冷苞はその中から馬をすゝめて魏延に決戦を挑む。望むところと魏延は大いに戦つたが、そのうちに後方から崩れ出した。
「はて?」
と、気をくばつてみると、不覚不覚、山路(やまぢ)の方から敵の伏兵が現れたらしい。いつのまにか魏延の隊は腹背ともに攻鼓(せめづゝみ)につゝまれてゐた。
「南無三」
魏延は冷苞を捨てゝ野の方五、六里も逃げ退(の)いた。
ところが、野末の森や山(やま)際(きは)からむら/\と起つて来た一軍が、
「魏延々々。どこへ行く気か」
「快く降参してしまへ」
と、口々に呼ばはりながら鼓を鳴らし喊声(カンセイ)を震はせて被(おほ)ひつゝんで来た。
「やや。鄧賢の兵か」
魏延は、狼狽して、また逃げ道を更(か)へた。
「卑怯ツ」
誰(たれ)か、追つて来る。
振向いてみると、これなん蜀の猛将鄧賢だつた。
「待て、魏延ツ」
鄧賢は、大槍を頭上に持つて、悍馬(カンバ)の背にのびあがつた。
あはや、槍は飛んで、魏延の背を串刺しにするかと思はれた。
そのとき一本の白羽箭(ビヤクウゼン)が風を切つてどこからか飛んできた。呀(あ)ツと、虚空へ絶叫をあげたのは鄧賢だつた。白い矢は彼の喉ぶえ深く喰ひついてゐたのである。長槍を持つたままその体は勢よく地上へ転げてゐた。
鄧賢の戦友冷苞は、それと見るや鄧賢に代つて、更に、魏延を追ひまはした。魏延の周囲にはもう味方の一兵も見えなかつた。
すると忽ち、堂々の金鼓、颯々の旗、一彪の軍馬は、野を横(よ)ぎつて、冷苞勢の横を打つて来た。
「黄忠こゝにあり、怯(ひる)むなかれ魏延」
真先にあるは老将黄忠であつた。弓を持つてゐる。矢を放つて、先に彼の危急を救つたのも、彼だつた。
この奇襲に、冷苞の勝色は、忽ち変じて、敗色を呈し、算をみだして、劉璝の陣地へ退却して行つたが、愕(おどろ)くべし、そこの営内にはすでに見馴れない他人の旗が翩翻(ヘンポン)とたなびいてゐた。
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なお、日曜日については夕刊が休刊のため、配信はありません。

