吉川英治『三国志(新聞連載版)』(827)魏延と黄忠(一)
昭和17年(1942)6月5日(金)付掲載(6月4日(木)配達)
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玄徳、涪城を取つて、これに拠る。——と聞えわたるや、蜀中は鳴動した。
とりわけ成都の混乱と、太守劉璋の愕(おどろ)きかたといつたらない。
「料(はか)らざりき、今日(コンニチ)、かくの如きことあらんとは」
と、痛嘆する一部の側臣を尻目にかけ、劉璝(リウクワイ)、冷苞、張任、鄧賢などは、
「それ見たことか」
と、自分たちの先見を誇つてみたものゝ、いまは内輪揉めしてゐられる場合でもない。
「お案じあるな、われ/\四将が、成都の精鋭五万をひつさげ、直(たゞち)に馳せ赴いて、雒(ラク)県の嶮に彼等を防ぎ止めますから」
劉璋もいまは、迷夢からさめたやうに、
「よいやうに」
と、それらの人々に防ぎを一任するしかなかつた。
大軍の立つ日である。四将のひとり劉璝が他の三将に諮つた。
「前々から聞いてゐたことだが、錦屏山(キンペイザン)の岩(いは)窟(あな)にひとりの道士がゐるさうな。紫虚(シキヨ)上人(シヤウニン)といはれ、よく占卜(センボク)を修め、吉凶禍福の未来を問ふに、掌(たなごゝろ)を指すやうによく中(あた)るといふ。いま玄徳に向つて成都の大軍をうごかすにあたり、勝か敗(まけ)か、ひとつ卜(うらな)はせてみるのも無駄ではあるまい。易(エキ)によつて、また大利(タイリ)を得るかもしれん。どうだらう諸公」
張任は笑つて、
「ばかを云ひたまへ、一国の興亡を負つて、その軍を指揮するものが、山野に住む一道士の言を訊かねば、戦ふ自信が持てないやうなことでは、士気を昂揚することもできはしない」
「いやいや、何も戦に臆して、吉凶を卜(うらな)はせようといふわけではない。この一戦こそ蜀の運命を左右するものだから、万全を期して、凶を招くやうなことは、少しでも踏むまいと念ずるからだ。これも国を思へばこそで、決して単なる迷ひや臆病から云ふのではない」
「それ程に仰せあるなら、何も強ひて止めはせん。貴公ひとりで訪ね給へ」
「よろしい、行つてくる」
部下数十騎をつれて、劉璝はすぐ錦屏山へ登つた。
一窟の前に、紫虚上人は、霧を吸つて、瞑想してゐた。
劉璝がひざまづいて、
「上人。何が見えますか」
と、たづねた。
紫虚上人は、ぶあいそに、
「蜀中が見えるよ」
と、いつた。
かさねて、劉璝が、
「西蜀四十一州だけですか。天下は見えませんか?」
すると、紫虚上人は、
「よけいなことを訊かいでもいゝぢやらう。御身の知りたがつて来たことだけに答へてやる。童子」
と、うしろにゐた子供に命じて、紙と筆をとりよせ、一文を書ゐて、劉璝へさづけた。
読んでみると、
左龍右鳳(サリユウイウホウ)
飛入西川(とんでセイセンにいる)
雛鳳墜地(スウホウ チにおち)
臥龍昇天(グワリユウ テンにのぼる)
一得一失
天数如然(テンスウかくのごとくしかり)
宜帰正道(よろしくセイダウにキして)
勿喪九泉(キウセンにほろぶなかれ)
「上人。……蜀は勝つでせうか」
「定業(ヂヤウゴフ)のがれ難し、ぢやよ」
「われ/\四将の気数運命はどうでせう」
「定業の外ではあり得ない、と云ふと?」
「それだけだよ」
「では、玄徳の軍は、蜀に於て成功しますか、それとも失敗しますか」
「一得一失。それに書ゐてあるのを見ないか。諄(くど)い。もう問ふな」
眼をふさぐと、石みたいに、もう何を訊いても、返事をしなかつた。
劉璝は、山を降(お)りて、
「慎まねばいかん。どうも蜀にとつて良い豫言ではないやうだ」
と、三将へ伝へると、張任はひどくをかしがつて、
「いやはや、劉璝は迷信家だ。山野の狂人の譫言(たはごと)をそれほどに尊重するなら、馬の嘶(いなゝ)きにも、狗(いぬ)の啼声(なきごゑ)にも、いち/\進退を問はねばなるまい。——外敵に当るまへに、まづ心中の敵を退治るのが肝要。いざ、迷はずに」
と、即日、軍をすゝめた。
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