吉川英治『三国志(新聞連載版)』(825)酒中別人(一)
昭和17年(1942)6月3日(水)付掲載(6月2日(火)配達)
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葭萌関を退いた玄徳は、ひとまづ涪城の城下に総軍をまとめ、涪水関を固めてゐる高沛、楊懐の二将へ、
「お聞き及びのとほり遽(にはか)に荊州へ立(たち)帰ることとなつた。明日、関門をまかり通る」
と、使をやつて開門を促しておいた。
高沛は手を打つて、
「楊懐、絶好な時が来たぞ。明日、玄徳がこゝを通過したら、軍旅の労をねぎらはんと、酒宴を設けて、その場で刺し殺してしまはう。——蜀の憂患(うれひ)を除くためだ。抜かり給ふな」
と、こゝでは二人が手に唾して夜の明けるのを待つてゐた。
翌る日、玄徳は大行軍の中にあつて、龐統と駒をならべ、何か語りながら涪水関へ向つて来た。
すると、一陣の山風に、旗竿の竿が折れた。玄徳は、眉を曇らせて、
「や、や。これは何の凶兆か」
と、駒を止めた。
龐統は、一笑して、
「これは天が前もつて凶事を告知してくれたものです。故に、凶ではありません。むしろ吉兆といふべきでせう。——思ふに楊懐、高沛がけふこそ君を刺殺せんと待ちうけてゐるものと考へられる。わが君、御油断あそばすな」
「そのことならば」
と、玄徳は、身に鎧(よろひ)を重ね、宝剣を佩(は)き、悪鬼(アクキ)羅刹(ラセツ)も来れと、心をすゑて更に駒をすゝめた。
龐統は、幕将の魏延、黄忠などに、何事かさゝやいて、一歩々々のあひだにも、戦態を作りながら前進してゐた。
すでに、関門の大廈(タイカ)が、近々と彼方の山(やま)峡(あひ)に見えた頃である。
楽を奏しながら、錦繍(キンシウ)の美旗をかゝげて、彼方から来る一群の軍隊がある。
真先に来た大将が云つた。
「今日、荊州へ御帰還あるといふ劉皇叔におはさずや。遠路の途中をおなぐさめ申さんが為、いさゝか粗肴(ソコウ)と粗酒を献じたく、これまでお迎へに出たものです。何とぞお納めをねがひたい」
龐統が出て挨拶した。
「これはこれは過分な礼物。皇叔にもいかばかりお歓びあるやしれません。高沛、楊懐の二兄にもよしなにお伝へおき下さい」
「いづれ後刻、陣御見舞に伺ふ由ですが、取(とり)敢(あ)へず、酒肴をお目にかけよとのことに、あれへ品々を担はせて来ました」
と、夥(おびたゞ)しい酒の瓶(かめ)、小羊、鶏の丸焼などを、それへ並べて帰つた。
一行はそこに幕舎を張つて、酒の瓶(かめ)を開き、山野の風物に一息入れながら、杯を傾けて休息してゐた。そこへ高沛と楊懐が、兵三百を供につれて、
「お名残り惜(をし)いことです。せめて今日は、親しくお杯を賜(たま)はりたいもので」
と、素知らぬ顔をもつて陣見舞に訪れた。
「さあ、どうか」
迎へ入れて、幕舎の酒宴は賑はつた。——玄徳が常に似合はずよく飲むので、龐統は心配してゐたが、そのあひだに、かねて云ひ含めておいた通り、関平、劉封の二人は、席を抜けて、外にゐた三百餘の関門兵を、遠くへ引(ひき)退(さ)がらせてしまつた。
そして引返すと二人は幕の蔭から躍り出て、
「刺客つ。神妙にしろ」
と、不意に、楊懐を蹴とばし、高沛に組みついて、うしろ手に縛りあげてしまつた。
「何をするかつ。客に対して」
楊懐が、威(ヰ)猛(たけ)高(だか)に吼えると、関平は彼のふところを探つて、秘(かく)してゐた短剣を取りあげた。高沛の懷からも短剣があらはれた。
「之(これ)を何に使ふつもりで来たか」
と、突(つき)付けると、
「剣は武人の護りだつ」
と、屈せずにいふ。
関平、劉封は共に腰なる長剣を抜いて、
「武人の護りとは、かういふ正々堂々の剣をいふのだ。この護りは、以て、卑劣なる汝等害獣を天誅するために研(と)がれてゐる。さ。斬れ味をみろ」
と、幕外へ曳き出して、有無を云はせず、二つの首を落してしまつた。
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