吉川英治『三国志(新聞連載版)』(824)上・中・下(二)
昭和17年(1942)6月2日(火)付掲載(6月1日(月)配達)
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【前回迄の梗概】魏の曹操、呉の孫堅は赤壁の戦の後も対立抗争をやめず、その間にあつて玄徳は比較的呉に近いが、なほ独自の勢力を保持し、今や蜀に入り、劉璋の主権を窺ふものゝやうである。従つて天下はやうやう三国分立の形勢である……
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彼が怒つたのはめづらしい。
劉璋の返簡を、使の前で裂き捨てゝ見せた。
「わが荊州の軍は、はる/゛\この蜀境に来て、蜀のために戦ひ、多くの人命と資材を費してゐるのに、わづかな要求を惜(をし)んで、粮(かて)も兵も、こんな申訳(まうしわけ)ばかりのものを送つて来るとは何事か。これを眼に見た士卒に対し、どういふ辞(ことば)を以て、よく戦へと、励ますことが出来るかつ。——立帰つてよく劉璋に告げるがいゝ」
輸送に当つてきた奉行ははうはうの態で成都へ帰つた。
そのあとで、龐統が、
「由来、皇叔といふお方は仁愛に富まれ、怒ることを知らない人といはれてゐましたのに、今日の御立腹は近ごろの椿事(チンジ)でした。〔あと〕味はどうですか」
「稀(たま)にはよいものと思つた。——が先生、このあとの策は予にないのだ。何ぞ賢慮はないかな」
「策は三つあります。どれでもわが君の意に召した計をお採りになるがよいでせう。一策は、今からすぐ昼夜兼行で道をいそぎ、有無なく成都を急襲する。このこと必ず成就します。故にこれを上策とします」
「む、む」
「第二は、いま詐(いつは)つて、荊州へ還ると触れ、陣地の兵をまとめにかゝる。すると楊懐、高沛などは、かねてより希望してゐることですから、かならず面に歓びをかくし口に惜別を述べて送りに来ませう。そのときこの蜀の名将二人を一席に殺して、忽ち兵馬を蜀中へ向け、一挙、涪水関を占領してしまふ。これは中策と考へられます」
「む、む。もう一計は」
「ひとまづ、兵を退(ひ)いて、白帝城にいたり、荊州の守備を強固となし、心しづかに、次の段階を慮(おもんぱか)ること是(これ)です。……が、これは下策に過ぎません」
「……下策はとりたくない。また第一の案も急に過ぎて、一つ躓(つまづ)けば、一敗地に塗(まみ)れよう」
「では、中計を」
「中庸。それは予の生活の信条でもある」
日を経て、成都の劉璋の手許へ、玄徳の一書がとゞいた。それには、呉境の戦乱がいよ/\拡大して来たことを告げ、荊州の危急はいま援(たす)けにゆかなければ絶望になる。まこと本意ないが、葭萌関には誰(たれ)か良い蜀の名将をさし向けられたい。自分は急遽、荊州へ回(かへ)ると——認(したゝ)めてあつた。
「それみい、玄徳は回(かへ)るというて来たではないか」
劉璋はかなしんだ。
然し、反玄勢力(ママ)は、ひそかに胸で凱歌を奏してゐる。
ひとり悶えたのは、大勢をこゝまで引つ張つて来た張松である。彼の立場は当然苦境に落ちる。
「さうだ」
邸に帰ると、張松は、筆を把(と)つて、玄徳へ激励の文を書いた。折角、こゝまで大事をすゝめながらいま荊州へ引揚げては、百事水泡に帰すではないか。何ぞ一鞭して、あなたはこの成都へやつて来ないか。実に遺憾だ。成都の同志は首を長くしてあなたの兵馬を待つてゐるものを。
さう書いてゐるところへ「お客さまです」と、家人が告げにきた。
張松はあわてゝ手紙を袂(たもと)へかくして、客間へ出てみた。見ると酒好な兄の張粛(チヤウシユク)が、もう酒の瓶(かめ)をあけて飲んでゐた。
「なんだ。あなただつたのか」
「顔いろが悪いしやないか」
「つかれですよ、公務が忙しいので」
「つかれなら薬を飲め。さあ、酌(つ)いでやらう」
張松も思はず酒をすごした。兄はなか/\帰らない。長尻につられて彼も酔つた。そのうちに二(ニ)度(ド)厠(かはや)へ立つたが、急に、兄の張粛は帰るといつて出て行つた。間もなく、入れ代りに、成都の兵がどやどやと入つて来た。有無をいはせず張松を搦(から)め捕り、家人召使、一人のこらず拉致(ラツチ)して行つた。
翌る日、市街の辻に、首(くび)斬(きり)が行はれた。みな張松の一家であつた。罪状書の高札には、売国奴たる大罪が箇条書してある。直訴人はその兄だつたと街のうはさは喧(かしま)しい。その兄と飲んでゐるうち張松が酔中に袂から落した自筆の手紙が證拠になつたものだといふ。
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