吉川英治『三国志(新聞連載版)』(816)珠(たま)(二)
昭和17年(1942)5月23日(土)付掲載(5月22日(金)配達)
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その日、孫権に召された周善は、張昭にも会つて、審(つぶ)さに密計を授けられ、勇躍して、夜のうちに揚子江を出帆した。
五百の兵はみな商人(あきうど)に仕(し)立(たて)、上流へ交易に行く商船に偽装し、船底には武具を蔵(かく)してゐた。
やがて目的地の荊州に着く。
周善は伝手(つて)を求めて、首尾よく荊州城の大奥へ入り込んだ。そして多くの賄賂をつかひ、漸く玄徳の夫人に会ふことができた。
夫人は、寝耳に水の愕(おどろ)きに打たれ、
「えつ。母公には、明日も知れぬ御危篤ですつて?」
兄孫権の手紙を読むうちに、もう紅涙(コウルヰ)潸々(サン/\)、手もわななかせ、顔も象牙(ザウゲ)彫(ぼり)のやうに血の色を失つてしまつた。
「一刻もお早く、呉へお下りください。せめて息のあるうちに、ひと目なと、お姿を見たいと、御母公に於かせられては、苦しき御息(おんいき)のひまにも、夜となく昼となく、囈言(うはごと)にまで御名(おんな)を呼んでをられまする」
周善のことばを聞くと、玄徳夫人は、いよ/\身を揉んで、
「会ひたい、行きたい、周善、どうしようぞ…」と、泣き沈んだ。
こゝぞと、周善は
「翼ある御身なれば、すぐにも御対面はかなひませうが、いかにせむ長江の水速しといへども、船旅では幾日もかゝります。すぐ御用意あつて、それへ御召遊ばさねば、つひに御臨終には間にあひますまい」
「……といふて、いまは良人(をつと)玄徳は蜀へ入つて、この城においで遊ばさず」
「それは御兄上の孫将軍から後にお詫(わび)をして貰へばよいでせう。親への大孝。よもお叱りはありますまい」
「でも、孔明が何といふかしれない。留守の出入は孔明がきびしく守つてゐるのですから」
「あの人に告げたら、断じて、呉へ下る事など、許すはずはありません。自身の責任のみ大事に思ひませうから」
「飛んでも行きたい思ひがする……。周善、よい智恵をかして賜(た)も」
「されば、いづれ此(この)事は尋常ではかなはじと考へ、張昭のさしづにより帆足(ほあし)速き一(イツ)艘(ソウ)を江岸へ着けておきました。御決意だにあらば、すぐ御案内いたしませう」
何ものも要らない気になつた。つひに彼女は身支度した。周善は諸方の口を見張りながら、その間に早口に告げた。
「さう/\、和子(わこ)様もお連れ遊ばせよ。御母公には、日頃から劉皇叔の家には、愛らしい一子ありとお聞きになつて、一目見たいと口癖に仰つしやつてをられました和子様は懐にでもお抱きになつて——ようござゐますか和子様も」
彼女の心はもう呉の空へ飛んでゐる。何をいはれても易々(いゝ)として云はれる儘(まゝ)にうごいてゐた。蟬娟(センケン)にして男まさりな呉妹君(ゴマイクン)といはれ、その窈窕(エウテフ)たる武技も有名な夫人であつたが国外遠く嫁いで、母の危篤と聞いては、やはり弱い女に過ぎなかつた。
黄昏(たそが)れ頃。
ことし五歳の阿斗をふところに、夫人は、車にかくれて、城中から忍び出た。
呉以来、側近く侍(かしづ)いてゐる三十餘人の侍女は、みな小剣を腰に佩(は)き、弓を携へて夜道をいそいだ。
沙頭鎮(サトウチン)の埠頭に、車はつく。船の燈(ひ)は暗く波間にゆれてゐた。
ざはめく蘆荻(ロテキ)のあひだから船は早くも離れかけた。帆車が軌(きし)る。怪鳥(ケテウ)のつばさのやうに帆は風を孕(はら)む。
「待てつ。その船待てつ」
岸の暗がりに、馬の嘶(いなゝ)きやら剣槍のひゞきが聞えた。
周善は艫に立つて
「いそげ。振向くな」
と、水夫(かこ)たちを叱咤した。
江頭(コウトウ)の人影は、刻々、多くなつて、騒ぎ立つてゐる。中にひとり目立つてゐるのは、常山の趙子龍、即ち江辺守備の大将であつた。
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