吉川英治『三国志(新聞連載版)』(815)珠(たま)(一)
昭和17年(1942)5月22日(金)付掲載(5月21日(木)配達)
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その後も、蜀の文武官は、劉璋に諫めること度々であつた。
「玄徳に二心はないかもしれません。然し玄徳の幕下は皆、この蜀に虎視眈々です。何とか口実を設けて今のうちに荊州軍を引き揚げさせる御工夫をなされては如何ですか」
劉璋は依然、頷(うなづ)かない。
「さのみ疑ふことはない。強(た)つてのことばは、宗族の間に、強(し)ひて波瀾を起させようとする気か」
さう云はれてはもう衆臣も二の句がない。唯(たゞ)ひたすら家臣結束して、荊州軍のうごきに警戒の眼を払つてゐるだけだつた。
かゝるうちに国境の葭萌関(カバウクワン)から飛報が来た。
「漢中の張魯がつひに大兵をあげて攻めよせて来た!」とある。
「それみよ、禍(わざわひ)(ママ)はそこだ」
劉璋はむしろ得意を感じたらしい。早速にこの由を玄徳へ伝へ、協力を乞うと、玄徳はすこしも辞すところなく、直(たゞち)に、兵を率ゐて国境へ馳せ向つた。
蜀の諸将はほつとした。
「いざ、この間に、蜀は自国の守りを、鉄壁になし給へ。内外、万全の御用意を」
と、劉璋へ再三再四、献言した。
劉璋も、餘りに諸臣が憂へるので、さらばと彼等の意にしたがひ、即ち、蜀の名将(メイシヤウ)白水(ハクスヰ)之(の)都督(トトク)楊懐(ヤウクワイ)、高沛(カウハイ)のふたりに涪水関(フスヰクワン)の守備を命じて、自分は成都へ立(たち)回(かへ)つた。
× ×
蜀境の戦乱は、まもなく、長江千里の南、呉へ聞えて来た。
「玄徳の野心は、つひに鉾鋩(ハウバウ)をあらはした。汝等、何と思ふか」
孫権は、呉の重臣を一堂に集めて、かう穏(おだや)かでない顔して言つた。
顧擁(コヨウ)(ママ)が答へていふ。
「彼はつひに、火中の栗を拾ひに出たものです。自ら手を焼くにちがひありません。情報なほ審(つまび)らかでありませんが、荊州の兵力を二分して、その一を以て蜀に入り、長途のつかれを持つ兵をして、強ひて国境の嶮岨に拠らしめ、今や漢中の張魯と、血みどろの戦をなしてゐると聞えまする。思ふに、呉の無事なる兵を以て、荊州の留守を突かば、一(イツ)鼓(コ)して、彼の地盤はくつがへりませう」
「予もさう考へてゐた所だ。諸卿(シヨキヤウ)よろしく出師(スヰシ)の準備にかゝれ」
すると、議堂の屛風(ビヤウブ)の蔭から、誰(たれ)かひとり進み出て、疳(カン)高い甲い声して云つた。
「誰(たれ)ぢや、わが女(むすめ)に、危害を加へようとするものは」
愕(おどろ)いて、その人を見れば、これは孫権の母侯(ボコウ)、呉夫人であつた。
母侯は猛(たけ)りたつて、
「そちたちは、江東八十一州の遺領を、坐(ゐなが)らにうけて、父祖の恩に、今日を豊(ゆたか)に送りながら、なほ荊州を望んで、どうするといふのぢや。荊州には、可愛い娘を嫁がせてある。玄徳はこの老母が婿(むこ)ではないか」
孫権は沈黙して、たゞ老母のまへに、叱りをうけてゐるだけだつた為に、評議は、一決せずに終つてしまつた。
——今、荊州を収めなければ又いつの日機会があらうと、孫権は爪をかみながら、一室に沈吟してゐた。
張昭が、そつと来て彼の前に囁(さゝや)いた。
「べつに計(はかりごと)をおたてになればよいでせう。母侯のお叱りは、唯(たゞ)唯(たゞ)、遠国におはすあなたの妹(いもと)君(ぎみ)をいぢらしき者、可愛いものと、情にひかれておいでになるだけの事ですから」
「では、どうして母をなだめるか」
「一人の大将に五百騎ほどをさづけ、急遽、荊州へさし向けられ、玄徳の御内方たる妹君へ、そつと密書を送つて、母侯の病篤し、命旦夕にあり、すぐ回(かへ)り給へとうながすのです」
「む、む」
「その折、玄徳の一子、阿斗をも連れて、呉へ下つて来られたなら、あとはもう此方のものです。それを人質に、荊州を返せと迫れば」
「その策は実に妙計だ。して誰(たれ)をやらうか」
「周善(シウゼン)なれば、仕損じますまい。彼は、力(ちから)鼎(かなへ)をあげ、胆(タン)斗(ト)の如き大将で、しかも忠烈ならびなき大将です」
「すぐ、こゝへ呼べ」
孫権ははや、筆墨をよせて、妹(いもと)に送る密書をしたゝめ出した。
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