吉川英治『三国志(新聞連載版)』(814)鴻門(こうもん)の会に非(あら)ず(三)
昭和17年(1942)5月21日(木)付掲載(5月20日(水)配達)
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「長夜の宴」とか「酒国長春」とかいふことばは、みな支那のものである。この民族の歴史ほど宴楽に始まつて宴楽に終る歴史を編んで来た民族は少い。平時はもちろん戦争の中でも実に宴会する。別離歓迎、式典葬祭、権謀術策、生活兵法、悉(こと/゛\)く宴会の間(ま)と卓とに依つて行はれる。
ことし壬辰(みづのえたつ)之(の)初春(はる)、さきに招かれた答礼として、こんどは玄徳が席をまうけて太守劉璋を招待した宴会は、けだし西蜀(セイシヨク)開闢(カイビヤク)以来といつてもよい盛大なものだつた。
遙々(はる/゛\)、荊州から携へてきた南壺(ナンコ)の酒、襄陽の美肴(ビカウ)に、蜀中の珍膳をとゝのへ、旗幡(キバン)林立の中に、会場を彩つて、やがて臨席した劉璋以下、蜀の将軍文官たちに、心からなるもてなしを尽した。
やがて宴も酣(たけなは)に入つた頃、龐統はちらと法正に眼くばせして外へ出た。
人無きところへ行つて、ふたりは声をひそめ合つてゐた。
「うまく運んだ。大事はすでに掌(たなごゝろ)にありだ。面倒な手段はいらん。たゞ席上に於て一気に斬殺せばいゝ」
「かねてのおさしづは、魏延どのに篤(トク)と申し含めてあります。きつとうまくやるでせう」
「場内に血を見ると同時に、劉璋の兵が、外で騒ぎ出すにちがひない。その方も手抜かりないやうにたのむ」
「心得てをります」
ふたりはさり気ない顔して、元の席へ返つてゐた。
宴席は歓語笑声に盈(み)ち、主賓劉璋の面にも、満足さうな酔が赤くのぼつてゐた。
ときに、荊州の大将たちの席から、突如、魏延が立上つて、酔歩(スヰホ)蹌踉(サウラウ)と、宴(エン)の中ほどへ進み出で、
「せつかくの臺臨を仰ぎながら、われ/\長途の軍旅にて、今日のもてなしに、恨むらく音楽の饗応を缺いてをる。依つてそれがし、剣の舞をなして、太守の一笑に供へ奉る。——」
云ふかと思へば、はや腰なる長剣を抜いて、舞ひ出してゐた。
「あ。あぶない」
こは徒事(たゞごと)の馳走に非ずと、劉璋の左右にあつた文武の大将は、みな顔色を変へたが、咎(とが)める術もなかつた。
すると、従事官張任といふ蜀の一将、やにはに又、剣を抜いて、魏延のまへに躍り出で、
「古来、剣を舞はすには、かならず対手が立つと承る。武骨、不風流者ながら、君に倣(なら)つて、お対手をいたさむ」
と、魏延の舞に縺(もつ)れて、共に舞ひ初めた。
閃々(セン/\)、たがひに白虹(ビヤクコウ)を描き、鏘々(シヤウ/\)、共に鍔(つば)を震(おのゝ)き鳴らす。——そして魏延の足が劉璋へ近づかうとすれば張任の眼と剣は、屹(キツ)と、玄徳へ向つて、殺気を迸(ほとばし)らせた。
(剣の舞の対手よ。汝がもしわが主人に危害を加へるならば、われは直(たゞち)に汝の主人玄徳を刺すぞ)
無言のうちに張任は舞ひつゝ魏延を牽制してゐた。
龐統は、それを眺めて、「ちいつ」と、この測らざる邪魔者に舌打ち鳴らしながら、傍(かたは)らにゐた劉封へきつと眼くばせした。
心得たりと、劉封もすぐ身を起し、剣を抜いて、ふたりの間へ。
「あら、おもしろや」
と、舞うて入る。
とたんに、ざは/\と、劉璋の周囲が一斉に立つた。冷苞、劉潰(リウクワイ)(ママ)、鄧賢などゝいふ幕将たち、手に手に剣を抜きつれて、
「いざ、舞はん乎(か)」
「それ舞はん乎」
「舞はん乎、舞はん乎」
「いざ来れ」
と、満座こと/゛\く剣に満つるかと思はれた。
玄徳は愕(おどろ)いて、自分も、剣を抜いて、高く掲げ、
「無礼なり、魏延、劉封、こゝは鴻門の会ではない。われら宗親の会同に、何たる殺伐を演ずるか。退(さ)がれつ、退がれつ」
と叱つた。
劉璋も、家臣の非礼を叱つて、玄徳と自分とは、同宗の骨肉、無用な猜疑をなすは、汝らこそ、兄弟の仲を裂くものであると、たしなめた。
然し、この夜の宴(エン)は、失敗に似て、却(かへ)つて成功だつた。劉璋はいよいよ玄徳に信頼の念を深めた。
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