吉川英治『三国志(新聞連載版)』(810)進軍(一)
昭和17年(1942)5月16日(土)付掲載(5月15日(金)配達)
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劉璋は面(おもて)に狼狽のいろを隠せなかつた。
「曹操にそんな野心があつてはどうもならん。張魯も蜀を狙ふ狼。曹操も蜀を窺ふ虎。いつたいどうしたらいゝのぢや」
気が弱い、策がない。劉璋はただ不安に駆られるばかりな眼をして云つた。
「お案じには及びませぬ」
張松は語を強めた。そして云ふには、
「この上は、荊州の玄徳をおたのみなさい。御当家とは漢朝の同流同族。のみならず、こんどの旅行中、諸州のうはさを聞いても、彼は仁慈、寛厚、稀(まれ)に見る長者であると、一世の人望を得てゐます」
「だが、その劉玄徳とは、今日まで何の交渉も持つてゐない。彼も漢の景帝の流れを汲む同族とはかねて聞いてゐたが」
「ですから、この際、鄭重なる書簡をいたせば、玄徳としても、欣然、友交国の誼(よし)みを結ぶにちがひありません」
「では、その使には、誰(たれ)をつかはしたらよいと思ふ」
「孟達、法正。この二人に超えるものはないでせう」
するとこの時、帳の外から大声して呼ばはつた者がある。
「御主君つ、耳に蓋(ふた)し給へ。張松の申す事などに引かされたら、この国四十一州は他人の物になりますぞ」
驚いて振向くと黄権(クワウケン)、字(あざな)は公衡(コウカウ)といふ者、額(ひたひ)に汗しながら入つて来た。
劉璋は眉を顰(しか)めて、
「なぜそんなことを云ふ。たしなめ」
と、一喝した。
黄権は屈せず、面を冒(おか)してなほ云つた。
「君、知り給はずや。当時、玄徳といへば、曹操だもなほ恐るゝ人物。寛仁よく人を馴(な)づけ、左右に鳳龍二軍帥あり、幕下(バクカ)に関羽、張飛、趙雲の輩(ともがら)あり、もしこれを蜀に迎へ入れたら、人心たちまち彼に有らんも知れず。国に二人の主(あるじ)なし。累卵(ルヰラン)の危機(あやふき)を招くは必然でせう。——それに張松は魏に使しながら、帰途は荊州をまわつて来たといふ取沙汰もある。旁旁(かた/゛\)、御賢慮をめぐらし給へ」
かうなると、張松も黙つてゐられない。国家の危機とは、これからの事ではない、今やすでにその危機にある蜀である。もし漢中の張魯と魏の曹操が結んで今にも国内へ進撃して来たらどうするか。たゞ強がるばかりが愛国ではないぞ、ほかに良策があるならこゝで聞かせよ、と詰問(なじ)り寄つた。
と、ふたゝび帳外から、
「無用々々。わが君。張松の辯舌にうごかされ給ふな」
云ひつゝ大歩して君前に罷(まか)り出て来た人物がある。従事官(ジユウジクワン)王累(ワウルヰ)であつた。
王累は、頓首して、
「たとひ漢中の張魯が、わが国に仇(あだ)をなすとも、それは疥癬(カイセン)(皮膚病)の疾(やまひ)にすぎぬ。けれど玄徳を引入れるのは、これ心腹の大患です。不治の病を求めるも同じことです。断じて、その儀は、お見合せあるやうに」
——だが、劉璋の頭には、もう先に聞いた張松のことばが、頑として、先入主になつてゐる。張松は実地に諸州の情勢を見て来た者だし、王累や黄権は、国外の実情にうとい。さう単純に区別してでもゐるのか、怖(おそろ)しく感情を損ねて叱り出した。
「うるさく云ふな。人望もなく実力もないやうな玄徳なら、何も求めて提携する必要もないではないか。わが家とは血縁もあり、旁々(かた/゛\)曹操すら一(イチ)目(モク)も二目もおく者と聞けばこそ、予も頼もしく思うて彼の力を借るのぢや。汝等こそ二度と要らざる舌をうごかすまい」
かくて遂に、張松のすゝめは劉璋の容れるところとなつてしまつた。使を命じられた法正は、前日の諜(しめ)し合せもあり、張松とはどこまでも主義を同じくしてゐるので、劉璋の書簡を持つと、道を早めて荊州へ赴いた。
「なに、蜀の法正とな?」
玄徳は、使者の名を聞いて、すぐ張松と別れた日のことばを胸に想ひうかべた。
直(たゞち)に、法正を見、且(か)つ書簡をうけて、その場でひらいた。
族弟劉璋、再拝。一書ヲ
宗兄(ソウケイ)タル将軍ノ麾下(キカ)ニ致ス
書面の冒頭にはかう書き出してあつた。
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