吉川英治『三国志(新聞連載版)』(811)進軍(二)
昭和17年(1942)5月17日(日)付掲載(5月16日(土)配達)
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その夜、玄徳は独りで、一室に考へこんでゐた。
龐統が来て云つた。
「孔明はどうしましたか」
「蜀の使者法正を、客館まで送つて行つてまだ戻らぬ」
「さうですか。して、君より法正へは、すでに御返辞をお与へになりましたか」
「なほ考へ中である」
「張松が去るとき、あれほど申し遺(のこ)して行つたのに、まだお疑ひとは」
「疑ひはせぬが」
「では、何をそのやうに、無用にお心を煩(わづら)うて居られるのですか」
「思うてもみい。いま予と水火の争ひをなす者は誰(たれ)か」
「曹操こそ最大の敵です」
「その曹操を敵として戦ふに、これまでは総(すべ)て彼の反対をとつて我が方略としてゐた。彼が急を以てすれば、われは寛(クワン)を以てし、彼が暴を行へば、我は仁を行ひ。い、彼が詐(いつは)りをなせば、我は誠(まこと)を以てして来た。それを自ら破るのが辛(つら)い」
「はて。意を得ませぬが」
「張松、法正、孟達たちのすゝめにまかせて、蜀に伐(き)り入らんか、当然、劉璋は亡び去らう。彼は、いつも云ふやうに、わが族弟。玄徳、同族の者を欺いて蜀を取れりと云はれては、予が今日まで守つてきた仁義はなくなる。小利の為、大義を天下に失ふは辛(つら)いといふのだ」
龐統は一笑に附して云ふ。
「火事場の中で、日頃の礼法をしてゐたら、寸歩もあるけますまい。あなたのおことばは天理人倫にかなつてゐますが、世はいま乱国、いはゞ火事場です。晦(くら)きを攻め、弱きを併せ、乱るゝは鎮め、逆は取つて順に従はす、これ兵家の任です。また民の安息を守るものです。蜀の状態はいまやそれに当つてゐる。天に代つて事を定め、事定まつた上、報ゆるに義を以てしてもよいでせう。今日もしわが君が蜀に入るを避けても、明日は他人が奪つてゐるかも知れません——。族弟の縁をたいへん気にかけてをられるやうですが、劉璋には今申したとほり、ほかに方法を以て、仁愛を示されゝば、敢(あへ)て信義に背(そむ)くことにはなりますまい。むしろさうした小義に囚(とら)はれてをらるゝこそ、兵家の卑屈と申さねばなりません」
諄々(ジユン/\)として、彼は説ゐた。道をあきらかにする、これは大きな行動のまへに大切な事にはちがひない。
玄徳も漸くうなづいた。蜀へ入りたいのは彼とて山々のところである。何せい荊州は戦禍に疲弊してゐる。地理的には東南に孫権、北方に曹操があつて、たえず恟々(ケウ/\)(ママ)と守備にばかり気をつかはなければならない。たゞ一方、門戸のあるのが西蜀であつた。しかも張松が置き残して行つた図巻を見れば、その国の富強、地理の要害、到底この荊州の比ではない。
「よう解つた。先生の啓示は、まさに金玉の教へと思ふ。それに張松たちが、かくまで手を尽して、予を迎へようとするのも、いはゆる天意といふものであらう」
「では、御決心なさいますか」
「孔明が帰つて見えたら、早速それについて評議いたさう」
程なくその孔明も姿をあらはした。三名は鳩首(キウシユ)して、軍議に耽(ふけ)つた。
翌日、法正にも、この旨をつたへ、同時に陣触れを発して、愈々(いよ/\)入蜀軍の勢揃ひをした。
玄徳はもちろんその中軍にある。
龐統を軍中の相談役とし、関平劉封も中軍にとゞめ黄忠と魏延とは、一を先鋒に、一を後備に分け、遠征軍の総数は精鋭五万とかぞへられた。
しかし、何より大事なのは、荊州の守りである。万一にも、この遠征軍がやぶれた時、或(あるい)は、南に孫権がうごくか、北の曹操が留守の間隙をうかゞふなど不測な事態が生じたとき、万全な備へがなくてはならない——。また征旅に上る玄徳にしても、その安心がなくては、腰をすゑて蜀へ入れない。
で、荊州には、孔明が残ることになつた。
その配備は。
襄陽の堺(さかひ)に関羽。
江陵城に趙雲子龍。
江辺(カウヘン)四郡には張飛。
と云つたやうに、名だたる者を要所要所にすゑ、孔明がその中央荊州に留守し、四境鉄壁の固めかたであつた。
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