吉川英治『三国志(新聞連載版)』(797)敵中作敵(三)
昭和17年(1942)5月1日(金)付掲載(4月30日(木)配達)
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【前回迄の梗概】
赤壁の戦に敗れた曹操は、呉の孫権と劉備玄徳との仲を割かんとして成功せず、やうやく三国は鼎立の形である。西涼の馬騰を殺した曹操は孔明の計で馬騰の子馬超と戦つてゐる。曹操の謀略は馬超と一時和してその間に馬超とその名将韓遂との猜疑反目を生ぜしめるにある。
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悄然(セウゼン)と、韓遂は自分の営へ、戻つて来た。
八旗の中の五人の侍大将たちが、早速やつて来て慰めた。
「われわれは将軍の二心なき忠誠を知つてゐます。それだけに心外で堪(たま)りません。馬超は勇あれど智謀足らず、所詮は曹操に敵しますまい。いつその事、今のうちに、将軍も曹操に降つて、安身長栄の工夫をなすつては如何です」
「慎め、卿等は何をいふか。この韓遂が起(た)つたのは、馬超の父馬騰に対して、生前の好誼(よしみ)に酬ふ義心一片。何で今更、彼を捨てゝ、曹操に降らうぞ」
「いやいや、それは将軍の片思ひといふもの。馬超のほうでは、却(かへ)つて、あなたを邪視してゐるのに、そんな節義を一体たれに尽すつもりですか」
楊秋、李湛、侯選など、交(かは)る/゛\離反をすゝめた。かの五旗の侍大将は、すでに馬超を見限つてゐるものゝやうであつた。
こゝに至つて、遂に、韓遂も変心を生じてしまつた。楊秋を密使に立て、その晩、ひそかに曹操に款(クワン)を通じた。
「成就、成就」
曹操は手を打つてよろこんだにちがひない。懇篤な返書とともに極めて綿密な一計をさづけて来た。すなはち曰(い)ふ。
明夕、馬超ヲ招イテ、宴ヲ為スベシ。油幕ノ四囲ニ枯柴ヲ積ミ。火ヲ以テ先ヅ巨鼠(キヨソ)ヲ窒息セシメヨ。火ヲ見ナバ曹操自ラ迅兵(ジンペイ)ヲ率シテ協力シ、鼓声(コセイ)喊呼(カンコ)ニツヽンデ馬超ヲ生捕リニセン
韓遂は翌日、五旗の腹心をあつめて、協議してゐた。曹操から云つてよこした策は必ずしも万全と思へないからであつた。
「いま招いても、馬超の方でこれへ参るまい」
韓遂の心配はそこにある。
「いや、案外来るかもしれませんよ。将軍が、謝罪すると仰つしやれば」
楊秋がいふと、侯選も、
「何といつても、若い所のある大将だから、口次第ではやつて来ませう」
と、云ふ。
李湛もまた。
「辯舌をもつて、きつと、馬超を案内して来ます。その点はわれわれにお任せ下さい」
と自負して云つた。
では、時刻を待つとて、油幕を張り、枯柴を隠し、宴席の準備した。そして韓遂を中心に、まづ前祝ひに一献酌み交して、手筈をさゝやいてゐると、そこへ突然、
「反逆人共つ。うごくな」
と、罵りながら入つて来た者がある。
見ると、馬超ではないか。
「呀(あ)つ。……これは」
不意をつかれて、狼狽してゐるまに、馬超は剣を抜くや否、韓遂に飛びかゝり、
「おのれつ、昨夜から、何を密議してゐたか」
と、斬りつけた。
韓遂は、戟を把(と)るまもなかつたので、左の肘(ひぢ)をあげて、身を防いだ。馬超の剣は、その左手を腕の付根から斬り落し、なほも、
「どこへ逃げる」
追(おひ)廻してゐると、五旗の侍大将が、左右から馬超へ打つて蒐(かゝ)つて来た。
油幕の外は火になつた。馬超は血刀をひつさげて、
「韓遂は。韓遂は」
血まなこに捜してゐる。
彼の前を邪(さまた)げた馬玩は立ちどころに殺されたし、彼に従つて来た龐徳、馬岱なども、韓遂の部下を手当り次第に誅殺(チウサツ)してゐた。ところが忽ち渭水を渡つて来た一陣、二陣、三陣の騎兵部隊が、ものも云はず、焰の中へ駈けこんで来て、
「馬超を生捕れつ」
「雑兵に眼をくれず、唯(たゞ)、馬超を討て」
と、励まし合つた。
その中には、虎痴許褚をはじめとして、夏侯淵、徐晃、曹洪などの曹軍中の驍将(ゲウシヤウ)はこと/゛\く出揃つてゐる。馬超は、恟(ぎよ)ツとして、
「さてはすでに、手筈はとゝのつてゐたか」
と、急に陣外へ駈け出したが、はや龐徳は見えず、馬岱も見あたらない。
彼ですらそれ程あわてたくらゐだから、西涼勢の混乱はいふまでもなく、各所の陣営からは濛々と黒煙りが揚つてゐた。
日は暮れたが、焰は天を焦がし、渭水のながれは真つ赤だつた。
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次回 → 兵学談義(一)(2026年5月1日(金)18時配信)

