吉川英治『三国志(新聞連載版)』(793)火(か)水(すゐ)木(もく)金(きん)土(ど)(三)
昭和17年(1942)4月25日(土)付掲載(4月24日(金)配達)
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勝負は果(はて)ない。
火華をちらし、槍を砕き、また戟(ほこ)を更(か)へて、鏘々(シヤウ/\)、戞々(カツ/\)、斬り結ぶこと実に百餘合。
「噫(あゝ)……」
と、両軍の陣は、たゞ手に汗を握り、うつろに謐(ひそ)まり返つて見てゐるだけだつた。
(——虎痴許褚を対手に、あれほど戦ひ得る馬超も馬超なり、また西涼の馬超を敵にまはして、これ程に戦ふ者も、許褚をおいては有るまい。実(げ)に、虎痴も虎痴なり)
と、ことばに出す余裕もないが、誰(たれ)とて、感嘆しないものはなかつた。
そのうちに、許褚は、
「あゝ暑い。この大汗では眼をあいて戦へぬ。馬超、待つてをれ」
斬り合つてゐるうち、ふいに、かう吐き捨てると、又々、ぷいと味方の陣中へ引つ込んでしまつた。
(どうしたのか?)
怪んでゐると、許褚は、甲(よろひ)盔(よろいかぶと)も戦袍も脱ぎ捨てゝ、赤裸(あかはだか)になるやいな、
「さあ、来い」
ふたゝび大刀をひつさげて現れて来た。
その間に、馬超も、汗を押しぬぐひ、新しい槍を持ち更(か)へて、一息入れてゐた様子。——忽ち、砂塵を捲いて、霹靂(ヘキレキ)に似た喚(をめ)きに狂ふ龍虎両雄の、三度目の一騎討が始まつた。
威震八荒の許褚、
「おうつツ」
と、吠えて、馬上、相手へ迫ると、馬超もまた、壮年(サウネン)悍勇(カンユウ)、さながら火焰を噴くやうな烈槍を、りうりう眼にもとまらぬ早業で突き捲くしてくる。
一刀、かつんと、槍の柄に鳴つた。——馬超、颯(さ)ツと引く。許褚ふたゝび振り被(かぶ)る。
「やおうツ」
身を交(かは)しざま、馬超は、敵の心板(むないた)を狙つて、猛烈に突いた。
「くそつ」と牙を咬(か)んで、許褚はそれを横に払ひ、刀を地に投げるや否、退(ひ)く槍の柄をつかんで、〔ぐい〕と、小脇に挟んでしまつた。
奪(と)られじ。
奪らん。
ふたりの阿呍(アウン)は、雷と雷が黒雲を捲いて吠え合つてゐるやうだつた。——奪(と)られた方がすぐその槍で突かれるのだ。渡せない。離せない。
ばきツと、槍が折れた。だゞゞゞつと、双方の駒がうしろへ蹌(よろ)めく。啾(いなゝ)いて竿立ちになる。すでに又、ふたりは槍の半分づゝを持つて猛烈な激闘を交へてゐた。
「退鉦(ひきがね)、退鉦打て」
曹操はさけんでゐた。大事な虎痴に万一があつては、全軍の士気にも関はると見たからである。
が、この微妙な戦機に、龐徳、馬岱の勢は、いちどに、曹軍の陣角へ、わつと強襲してかゝつた。
其(その)手の敵、夏侯淵、曹洪など、面もふらず戦つたが、全体的には西涼軍の士気強く、ひた押しに圧(お)され、乱軍中、許褚も肘へ二本の矢をうけた程だつた。
「守つて出るな」
曹操は、氷城をとざした。氷の城廓も、かうなるとものをいふ。この日馬超も、軍を収めてから、
「自分も幼少からずゐぶん手(て)強(ごは)い人間にも遭つたが、まだ許褚の如きものは見ない。真に彼は虎痴だ」
と、舌を巻いてゐた。
その後、曹操のほうにも、何等、良計はなく、徐晃と朱霊のふたりに四千騎をさづけて、渭水の西に伏せ、自身、河を渉(わた)つて、正面を衝かうとしたが、事前に、馬超の方から軽兵数百騎をひきゐ、氷城の前に迫り、人も無げに、諸所を蹂躙(ジウリン)して去つた。
土楼の窓から、それを眺めてゐた曹操は、被(かぶ)つてゐた盔(かぶと)を抛(はふ)つて、
「実に馬超といふ敵は尋常な敵ではない。彼の生きてあらん限りはこの曹操の生は安んじられない」
と云つた。
それを聞いてゐた夏侯淵は
「これほど御味方に人もあるものを、たゞ一人の馬超の為、それ迄(まで)御心を傷(いた)ましむるとは、何たることか。われ誓つて、馬超と共に刺し交へん」
と、その夜、曹操が止めるもきかず、部下千騎をひきゐて討つて出た。
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