吉川英治『三国志(新聞連載版)』(792)火(か)水(すゐ)木(もく)金(きん)土(ど)(二)
昭和17年(1942)4月24日(金)付掲載(4月23日(木)配達)
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一日、北風が吹き出した。曹操は、夢梅居士の教を行ふ日と、昼から三、四万の人夫を動員してをいた。
日が暮るゝとすぐ、
「夜明けまでに、もう一度、土城を築け」
と、命じた。
この夜は、将士もすべて、総(ソウ)懸(がゝ)りに、それへかゝつた。
基礎のあつた上であるから、夜明け近くには、ほゞ構築された。
「水を注げ。全城へ水をかけろ」
数万の縑(ケン)の嚢(ふくろ)や革の嚢が用意されてあつた。河水を汲んでは手渡しから手渡しに運び、土門、土楼、土壁、土塁、土孔、土房、土窓、築くに従つて水をかけ、また水をかけた。
西涼の軍勢は、夜明けの光に、対岸をながめ、驚き合つてゐた。
「やあ、城が出来てゐる」
「いつの間に」
「たつた一夜のうちだ」
「見ろ。あれは、この前の土城(つちじろ)ではない。氷の城廓だ。氷城(ヘウジヤウ)(ママ)だ」
馬超、韓遂なども出て、大いに怪(あやし)みながら、小手をかざしてゐたが、
「又何か、曹操の小策に違ひあるまい。馳け破つて、城廓の正体を見届けてくれむ」
と、遽(にはか)に、鼓(コ)を打ち、大兵を集結して、河を渉(わた)つた。
「来たか、北夷(えびす)の子」
曹操は馬を進めて、待つてゐた。
馬超は、例に依つて、
「おのれつ」
と、牙を咬み、一躍して、曹操を突(つき)殺さうとしたが、その側(そば)に、朱面(シユメン)虎髯(コゼン)、光は百錬の鏡にも似た眼を、〔ぢつ〕とこちらへ向けてゐる武将が身構へていて油断もない。
(これだな、虎痴と綽名(あだな)のある例の男は?)
直感したので、馬超は、いつになく自重して、わざと試しに云つてみた。
「西涼の大将たるものは、云へば必ず行ひ、行へば必ず徹底して実を示す。聞き及ぶ、曹操は、口頭の雄で、逃げ上手だと云ふが、汝そこを動かず、必ず馬超と一戦するの勇気があるか」
すると、曹操は、
「知らないか、田舎漢(いなかもの)(ママ)、予の側には常に、虎痴許褚といふ猛将がをることを。——なんで天下の鼠を憚(はゞか)らうや」
云ひもあへず、曹操の傍らから、馬を乗り出したその虎痴が、
「すなはち、譙郡の許褚とはおれの事。汝、そこを動かず、一戦するの勇気があるのか」
と、云つた。
その声は人(ひと)臭(くさ)いが、猛気は百獣の王に似てゐる。
いつぞや韓遂に云はれたことばを思ひ出して、馬超も、心に怕(おそ)れを生じたか、
「又、会はう」
と云ひ捨てたまゝ馬を回(かへ)し、軍を退いてしまつた。
これを見てゐた両軍の兵は、駭然(ガイゼン)として
(馬超すら恐れる許褚といふものはいつたいどれほど強いのか)
と、身の毛をよだてぬ者はなかつたといふ。
曹操は、氷城(ヘウジヤウ)(ママ)の陣営にかくれると諸将をあつめて、
「どうだ、けふの虎侯、皆見たか。真(まこと)にわが虎侯といふべしである」
と、賞(ほ)め称(たゝ)へた。
許褚は、大面目を施したので、
「明日はかならず、馬超を生捕つて御覧に入れん」
と、高言した。
すなはち、その日彼は、敵へ宛てゝ決戦状を送り、
「明日、出馬しなかつたら、天下に嗤(わら)つてやるぞ」
と、云ひ送つた。
馬超は怒つて、
「確かに、出会はん」
と返書して、夜が白むや、龐徳、馬岱、韓遂など、陣容物々しく、押寄せて来た。
「待つてゐた」
とばかり、許褚は馬を躍らせて、馬超へ呼びかけた。おうつと、一言、馬超もけふは敢然と出て戦つた。
戦ふこと百餘合、双方とも、馬を疲らせてしまつたので、各々陣中に引分れ、ふたゝび馬を更(か)へて人交ぜもせず戦ひ直した。
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