吉川英治『三国志(新聞連載版)』(782)不倶戴天(一)
昭和17年(1942)4月12日(日)付掲載(4月11日(土)配達)
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このとき丞相府には、荊州方面から重大な情報が入つてゐた。
「荊州の玄徳は、いよ/\蜀に攻め入りさうです。目下、彼地では活潑な準備が公然と行はれてゐる」
曹操はかく聞いて胸をいためた。もし玄徳が蜀に入つたら、淵の龍が雲を獲(え)、江岸の魚(うを)が蒼海へ出たやうなものである。ふたゝび彼を一僻地へ屈伏せしめることはもう出来ない。魏にとつて重大な強国が新に出現することにならう。彼は数日、庁の奥にとぢ籠つて対策を練つてゐた。
こゝに丞相府の治書侍御史(チシヨジギヨシ)参軍事(サングンジ)で陳群(チングン)、字(あざな)を文長(ブンチヤウ)(ママ)といふものがあつた。彼が曹操に向つていふには、
「玄徳と呉の孫権とは今、心から親睦でないにせよ、形は唇と歯のやうな関係に結ばれてゐます。ですから、玄徳が蜀へ進んだら、丞相は大軍を以て、反対に呉をお攻めになるがよいでせう。なぜならば、呉は忽ち玄徳へ向つて、協力を求め、援(たす)けを強(し)ひるにちがひありません」
「ふむ。さすれば玄徳は、進むに進み得ず、退くに退き得ず、両難に陥るといふわけか。——いやさうは参るまい。彼にも孔明がついてゐる。軽々しく呉の求めにうごいたり、軍の方向に迷ふやうなことはせぬ」
「それこそ、わが魏にとつて望むところではありませんか。もし玄徳の援助なく、玄徳は入蜀の事に没頭して、呉を顧みるに暇(いとま)なければ、こゝ絶好な機会です。更に大軍を増派し、一挙に呉国をお手に入れてしまはれては如何です。玄徳なく、たゞ魏と呉との対戦なら、御勝利は歴々です」
「げにも。げにも」
曹操は、眉をひらいた。
「餘りむづかしくばかり考へこむものぢやないな。わしは些(ち)と重大と思ひ過ぎて思案が過つてをつたよ。人間日々大小万事、こゝにいつも打開があるな」
即時、三十万の大軍は、南へうごゐた。檄は飛んで、合淝(ガフヒ)城にある張遼に告げ、
——汝、先鋒となつて、呉を突くべし。
とあつた。
大軍まだそこへ到らぬうち、呉の国界は大きな衝動に打たれ、急はすぐさま呉主孫権に報じられる。
孫権は、急遽、諸員を評定に召集して、それに応ずべき策を諮つた。その結果、
「かういふ時こそ、玄徳との好誼(よしみ)を活かし、お使を派して、彼の協力をお求め遊ばすのがしかるべきでせう」と、決つた。
すなはち魯粛の書簡を持つて、使は荊州へ急いでゆく。
玄徳はそれを披見して、ひとまづ使者を客館にもてなしておき、その間に、孔明が帰るのを待つてゐた。
南郡地方にゐた孔明は、召をうけるや馬を飛ばして帰つて来た。そして、玄徳から、仔細を聞き、また魯粛の書簡を見ると、
「御返辞は」
と、玄徳の面を窺つた。
「まだ答へてない。御身に諮つた上で、承諾とも拒絶するとも答へようと思つて」
「では、この返書は、わたくしにお任せおき下さいますか」
玄徳はうなづいた。
「よきやうに」と。
孔明は一書を認(したゝ)めた。それには、呉へ向つて、かう告げてある。
乞ふ、安んじられよ。呉国の人人は枕を高うして可なり。もし魏軍三十万の来るあらば、孔明これにあり。直(たゞち)に彼を撃攘(ゲキジヤウ)せむ。
呉の使は、書面を持つて帰つて行つた。しかし玄徳は安からぬこゝちがした。
「軍師。あのやうな大言を申し遣(や)つてよろしいのか」
「大丈夫です」
「許都の魏兵三十万のみでなく、合淝の張遼も合して来るだらう」
「大丈夫です」
「どういふ自信があつて?」
「西涼の馬騰が、つい先頃、都で殺されたさうです。その子二人も禍に遭つたやうですが、本国には馬氏の嫡男馬超が残つてゐた筈です。この人へわが君から密使をおやりなさい。いま馬超を語らふことは至極たやすく、しかも馬超ひとりを動かせば、曹操以下三十万の精兵も魏一国に金縛りにしてしまふことが出来ませう」
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