吉川英治『三国志(新聞連載版)』(781)馬騰の一族(三)
昭和17年(1942)4月11日(土)付掲載(4月10日(金)配達)
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男は李春香の耳へ囁(さゝや)いた。
「今夜にかぎつて、黄奎の様子がどことなく変ぢやないか」
「そんな事はないでせう」
「いや、おれの弟が、馬騰の邸(やしき)に、多年お留守居役をしてゐるが、その弟から妙な事を報(し)らせて来た。——春香、おまへが訊けば、たつた一人の可愛い姪だ。黄奎は何か打明けるにちがひない。そつと訊いてごらん」
春香はまだ世間の怖さも複雑さも知らなかつた。云はるゝまゝその夜叔父の心をそれとなく訊いてみた。すると黄奎は驚いた顔して、
「わしの様子がどことなく変だといふことが、おまへみたいな小娘にもわかるかい。あゝ争はれないものだ」
彼は嘆息して、実は大事を計画してゐる為、その準備やら万一の事まで案じてゐるせゐだらうと、つい対手が身内の者ではあり、世間へも出ない小娘なので、心中の秘を語つてしまつた。
そして猶(なほ)、
「この事が成功すれば、わしは一躍、諸侯の列に入るが、もし失敗したら忽ち生きてゐないだらう。さうしたらおまへは、何もかも捨てゝ郷里の老人達のところへ逃げて、当分、嫁にもゆかないがいゝ」
と、遺言めいたことまで云つた。
室外に立聞きしてゐた男は、春香がそこから出て来たときはもう居なかつた。彼は深夜の町を風の如く奔(はし)つてゐる。そして丞相府の門を叩いた。
「たいへんです。お膝下に恐しいことを計つてゐる謀叛人がをりますつ」
下役(したやく)から部長へ、部長から中堂司へ、次々に伝申(デンシン)されて、深更ながら曹操の耳にまで入つた。
「すぐその者を聴問閣(チヤウモンカク)の下へ曳け」
曹操は〔がば〕と起きた。
ひとたび眠る如く消されてゐた相府の閣廊廻廊の万燈は、煌々(クワウ/\)と昼のやうに眠りをさました。
馬騰の飛檄に依つて、関西の兵や近くの軍馬は、続々、許都へさして動きつゝあつた。馬騰は書を以て曹操に、
「はや発向の準備もなり、近日勢揃ひ仕りますれば、その節は都門にお馬を立てられ、親しく御閲兵の上、征途に上(のぼ)る将士にたいし、一言の御激励ねがはしう存ずる」
との旨を告げて来た。
曹操は、奥歯に苦笑を嚙みしめながら、口のうちで罵つた。
「たれがそんな罠にかゝるか」
そして直(たゞち)に、密車二隊を奔(はし)らせ、一手は黄奎を捕縛し、一手は馬騰の家を襲つて、即座に二人を召捕つて来させた。
相府の白洲で、黄奎の顔を〔ちら〕と見ると、馬騰は、口を裂き、牙を剝(む)いて、
「この腐れ儒者め!何とてかゝる大事を口外したかつ。あゝ、止(や)んぬる哉(かな)、天も漢朝を捨て給ふと見えたり。二度まで計つて二度まで未然にやぶれ去るとは」
曹操は、指をさして、その狂態を笑ひ、武士に命じて、一(イチ)刃(ジン)の下にその首を刎(は)ねた。
黄奎も首を打たれた。——また、馬騰の拉致(ラツチ)されたあと、大勢の密軍兵は、捕吏とともに、馬騰の邸を四面から焼きたてて、内から逃げ転び悲しみまどひ、阿鼻叫喚をあげて、溢れ出て来る家臣、老幼、下(しも)の召使の男女など悉(こと/゛\)く捕へて、或は首を切り、或(あるひ)(ママ)は市に曝(さら)し、惨状、無残、目を蔽(おほ)はずにゐられないほどだつた。
その中には、父を慕つて本国から着いた馬騰の子二人も殺害されたが、甥の馬岱だけは、どう遁(のが)れたか、関外へ逃走してゐた。
こゝに笑止なのは密告して褒美にありつかうとした苗沢(ベウタク)といふ男である。事件後、曹操に願ひを出して、李春香を妻に賜はりたいと乞ふと、曹操は〔あざ〕笑つて、
「汝にはべつに与へるものがある」
と城市の辻に立たせ、首を刎ねて、不義(フギ)佞智(ネイチ)の小人(セウジン)も亦(また)かくの如しと、数日、往来の見世物にしておいた。
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