吉川英治『三国志(新聞連載版)』(777)酔県令(すゐけんれい)(一)
昭和17年(1942)4月5日(日)付掲載(4月4日(土)配達)
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茲(こゝ)しばらく、孔明は荊州にゐなかつた。新領治下の民情を視(み)、四郡の産物など視察して歩いてゐた。
彼の留守である。龐統が荊州へ来たのは。
「予に会ひたいといふのか」
「おそらく仕官を求めに来たものと思はれますが」
「名は」
「襄陽の龐統なりと申しました」
「さては、鳳雛先生か」
玄徳は驚いて、取次の家臣へ、すぐ丁重に案内せよと命じた。
かねて孔明からうはさを聞いてゐたからである。龐統はやがて導かれて来た。しかし堂に迎へられても、長揖(チヤウイフ)して拝すでもなく、頗(すこぶ)る無作法に佇立してゐるので
「はて、このやうな男が、名声の高い鳳雛だらうか」
と、玄徳は疑ひを生じた。
のみならず、風態は卑しげだし、容は醜いと来てゐるので、玄徳もすつかり興ざめ顔に
「遠く御辺のこれへ来られたのは、抑(そも)、いかなる御用があつての事か」
と、通り一遍の質(ママ)をした。
龐統はかねて孔明から貰つてある書状もあるし、魯粛の紹介状を携へてゐたが、〔わざ〕とそれを出さなかつた。
「されば、劉皇叔が、この地に新政を布(し)いて弘く人材を求めらるゝ由を遙(はるか)に承り、もし御縁あらばと来てみたわけです」
「それは生憎(あいにく)なことだ。荊州はすでに治安秩序も定まり、官職の椅子も今は缺員がない。——たゞここから東北地方の田舎だが、来陽(ライヤウ)(ママ)県の県令の職がひとつ空いてをる。もしそこでもと望むならば、赴任してみらるゝがよい」
「田舎の県令ですか。それも暢気でいゝかも知れませんな」
龐統は辞令を受けると、即日、任地へ立つて行つた。荊州東北、約百三十里の小都会である。
だが彼はそこの知事として着任しても、殆(ほとん)ど役所の時務は何も見なかつた。地方時務の多くは民の訴へ事であるが、訴訟などは〔てんで〕抛(はふ)り出しておく為、書類は山積して塵に埋(うづ)まつてゐる。
当然、地方民の怨嗟や糾弾の声が起(おこ)つた。そして中府の荊州にもこの非難が聞えてきたので、温厚な玄徳も、
「憎い腐れ儒者ではある」
と、直(たゞち)に、張飛と孫乾にいひつけ、来陽県(ママ)を巡視して、もし官の不法、怠慢の〔かど〕など発見したら、厳(きびし)く実状を糺(たゞ)して来いと云つた。
「心得ました」
二人は、数十騎の侍をつれ、吏務検察として赴いた。郡民や小吏は聞きつたへて、
「お待ちもうしてをりました」
と、ばかり挙(こぞ)つて出迎へに立つたが、県令の顔は見あたらない。
「役所の者はをらんのか」
張飛がどなると、一役人が、
「これに出てをりますが」
と、恐惶頓首して答へた。
「お前たちぢやない。県令はどうしたか」
「それが、……その何とも」
「明かに云へ。お前たちを罰しに来たのぢやない」
「何ぶんにも、県令龐統には、御着任以来、今日のやうな場合に限らず、すべて公の事には、見向ゐたこともありませんので」
「そして、何してをるのだ。毎日……」
「たいがいは、酒ばかり飲んでゐらつしやゐます」
「毎日、酒びたりか」
張飛はちよつと、羨ましいやうな顔したが、すぐ、
「怪(け)しからん」
と、云ひ放ちながら、その足で、県庁の官舎へ押(おし)かけ、
「龐統は居らんか」
と、どなつた。
すると奥から衣冠もとゝのへぬ酔どれが、赤い蟹みたいな顔してよろよろ出て来た。そして、
「わしが龐統だが」
と、昼から酒くさい息を吐いて云つた。
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なお、日曜日については夕刊が休刊のため、配信はありません。

