吉川英治『三国志(新聞連載版)』(770)荊州往来(二)
昭和17年(1942)3月27日(金)付掲載(3月26日(木)配達)
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孔明は、その機(しほ)に、衝立(ついたて)の後(うしろ)から歩いて来て、魯粛へ云つた。
「粛公。あなたは、皇叔が何で嘆き悲しむか、仔細を御存じか」
「わかりません」
「蜀の劉璋は、漢朝の骨肉、いはば皇叔とは、血に於て、兄弟も同じです。もし故なく兵を起して、蜀へ攻入れば、世人は唾して不徳を罵るであらう。——さりとて、もし荊州を呉侯へ返せば、身を置く国もありますまい」
「わかりました」
魯粛は、座を起(た)つて、なほ哭き悶へてゐる玄徳の肩へ顔をよせて慰めた。
「皇叔、皇叔……。さのみ嘆き給ひそ。私と孔明とで、何か良い思案をめぐらしますから」
魯粛が、情にうごゐた容子を見て、孔明はこゝぞと、共に情をこめて玄徳へ云つた。
「わが君、そのやうにご悲嘆ありましては、遂には、心身を害(そこ)ねませう。万事は魯粛どのゝ仁俠(ジンケフ)と義心にお頼みあそばして、心を寛くお持ち下さい。——また粛公には、呉侯に対して、皇叔がこのやうに苦衷してをられる仔細を、何とぞよろしきやうに、お伝へ給はれ。よも、呉侯とて、お怒りはなさるまい」
魯粛は、急に我に回(かへ)つて、大げさに手を振りながら、
「待つて下さい。又しても、空しく、そんな御返事を齎(もたら)して帰つたら、今度こそ呉侯も、どうおつしやるか分りません」
「いやいや、すでに御自分の妹君を娶(め)合(あは)せられた呉侯が、その婿たる御方(おかた)のかくばかりな苦境をば、何とて他に見ませうぞ。臣下に対して、表向き、厳しく約束の履行をおつしやるでせうが、本心から御立腹なさる理(わけ)はありません」
温厚寛仁な魯粛は、さう云はれると、とかくの議論にも及ばず、たゞ玄徳の立場に同情し、ひいては主君の意思の裏にも、一片の情けはある筈だと思ひこんでしまつた。
ついに今度も、空手(からて)で帰国の途につくしかなかつたが、途中、柴桑に船をよせて一泊したついでに、周瑜を訪ねて、この次第を話すと、周瑜は、又しても卿は孔明に一杯喰はされたのだと云ひ、魯粛の餘りにも善意的な見解をなじつて、
「君の性質は、全然、外交官としては零(ゼロ)だ。たゞ篤実な長者でしかない」
馬鹿と云はないばかりに、腹を立てゝ云つた。
「考へても見給へ。劉表に身を寄せてゐた頃から、常に劉表の後釜を窺(うかゞ)つてゐた玄徳ぢやないか。いはんや、蜀の劉璋などに、何の斟酌(シンシヤク)を持つてゐるものか。すべて彼と孔明の遷延策に他ならぬものだ。そして何とか〔かん〕とか云つて荊州を呉へ回(かへ)さない算段をめぐらしてゐるに極(きま)つてをるさ!」
魯粛は、青くなつた。
呉侯に取次ぐ言葉がないからである。
「もう一度、荊州へ行つて来給へ。そんな回答を携へて、呉侯の前で〔おめ〕/\と、当り前みたいな顔して申し上げたら、恐らく卿の首はその場でなくなるに極(きま)つてゐる」
周瑜は一大秘策を授けた。
(君は篤実な長者とはいへるが、外交官としてはゼロだよ)
と、彼に云はれた魯粛は、それを不名誉とも思はず、飽(あく)まで自己の性格の命ずるまゝ、周瑜の秘策を持つてそこから再び荊州へ引つ返した。
そして玄徳に会ふと、かう告げた。
「立(たち)帰つて、あなたの御苦衷と、おなげきの態(テイ)を、主君孫権へ、有(あり)の儘(まゝ)、お伝へいたした所、主君も大いに同情の色を現し、群臣と共に、御評議の結果、かういふ一案をお立てになりました。おそらく、これには皇叔とても、よも異存はあるまいとの衆議からで……」
と、こゝに周瑜の智謀から出た退(の)つ引きさせぬ一要求を持ち出した。それは、玄徳の名で蜀へ攻入るのが〔まづい〕ならば、呉の大軍をもつて、呉が直接、蜀を取る。——だが、その節には、荊州を通過することゝ、多少の軍需兵糧を補給するといふ確約をむすんでもらひたいといふ条件であつた。
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