吉川英治『三国志(新聞連載版)』(766)文武競春(二)
昭和17年(1942)3月21日(土)付掲載(3月20日(金)配達)
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文聘は鐙(あぶみ)に立つた。弓手は眉を横に引きしぼる。
矢は兵(ヘウ)ツと飛んだ。
とたんに、金鼓(かねつゞみ)は鳴り轟き、諸人の感称もわつと揚つた。
「中(あた)つた、中つた。柳に懸けたる紅(くれなひ)(ママ)の袍(したゝれ)(ママ)は、快くそれがしに渡し給へ」
大音あげて、文聘が云ふと、
「何者ぞや、花(はな)盗人(ぬすびと)は。袍はすでに、先に小将軍が射られたり。わが手並を見てから広言を払へ」
と、又一騎、駈けて出た。
曹操の従弟(いとこ)、曹洪であつた。
握り太な彫弓の満を引いて、びゆツと弦(つる)を切つて放つ。その矢も見事、彼方の袍の心当(むねあて)を射抜いた。
陣々の銅鑼、陣々の鼓(つゞみ)、打ち囃(はや)し、賞(ほ)め囃し、観る者も、射る者も、今や熱狂した。
「やあ、いづれもの射術は、まだ何の奇妙とするに足らん。河間の張郃が弓勢(ゆんぜい)に習はれよ」
漆黒の馬の真つ赤な扮装の人。ぴしぴしと馬を飛ばしながら後ろ様に身を捻(ね)ぢ反(かへ)して一(ひと)矢(や)放つた。
「オヽ、張郃。さすがは見事」
称(たゝ)へる人(ひと)声(こゑ)をよそにして、張郃はなほ二矢をつゞけた。更に、三(サン)矢(シ)、四(シ)矢(シ)まで射た。そしてその一本も的から外さなかつた。
すると、また一人、
「笑
べし、文聘の児戯」
と、馬をどらせて、辺(あたり)に威風を払つて見せた大将がある。諸人これを見れば夏侯淵であつた。馬を走らすこと雷光の如く、首を回(かへ)して、後ろ矢を射た。しかもその矢は、張郃が射立てた矢の真ん中をぴつたり射(い)中(あて)た。
侯淵(コウヱン)は矢を追かけて、柳の下へ駈け出した。そして、
「この袍は有難く、それがしが拝領(ハイリヤウ)仕(つかまつ)る」
と、馬上から板(ママ)へ、手を伸ばさうとすると、遠くから、
「待ツた!曲者(くせもの)」
と、大声に叱つて、彼方から一(イツ)矢(シ)、羽(は)唸(うな)り強く、射て来た者がある。
これなん徐晃の放つた矢であつた。
「——呀(あ)つ」
と、諸人は胆をつぶした。彼の矢は、餘りにも見事に、柳の枝を射切つてゐたからである。柳葉(リウエウ)繽紛(ヒンプン)と散りしだき、紅錦の袍は、ひらひらと地に落ちて来た。
同時に、徐晃は駈け寄りざま、馬(うま)袍(したゝれ)(ママ)を掬(すく)ひ取つて、自分の背なかに打(うち)かけ、馬をとばして直ぐ馳せ戻り、楼の台上を仰いで、
「丞相の賜物(たまもの)、謹んで拝謝し奉る」
と、呶鳴つた。
「ひどいやつだ」
と、諸人みな、呆(あき)れ顔して騒然と囃してゐると、臺(タイ)下に立つてゐた群将の中から駈け出した許褚が、物も云はず徐晃の弓を握つて、いきなり馬の上から彼を引き摺(ず)り下ろした。
「やつ。狼藉な」
「何の。まだ丞相のおゆるしは無し。その袍の受領者は、いづれに行くか、腕(て)のうちに有りだ」
「無法々々」
「渡せ。いで渡せ」
たうとう、二人は引つ組んで、四つになり、諸(もろ)仆(たほ)れになり、さん/゛\肉闘して、肝腎な錦の袍(したゝれ)(ママ)も為に、ズタ/\に引裂いてしまつた。
「分けろ、引分けろ」
曹操は臺(タイ)上から苦笑して命じた。
物々しく、退(ひ)き鉦(がね)打たせて、曹操は其(その)二人を初め、弓に鍛へをあらはした諸将を一列に招き呼んで、
「いや、いづれ劣らぬ紅(くれなひ)(ママ)や緑。日頃のたしなみ、武藝の励み、見とゞけたぞ。——何で汝等の精励に対して、一(イチ)裲(レウ)の衣を惜(をし)まうか」
と、大機嫌で、一人々々の者へ蜀紅(シヨクコウ)の錦(にしき)一(イツ)匹(ピキ)ずつ頒(わ)け与へ、
「さあ、位階に従つて席に着け。更に杯(さかづき)の満(まん)を引かう」
と、促した。
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昭和17年(1942)3月22日(日)付の夕刊は、前日(配達日)の3月21日(土)が祭日(春季皇霊祭[春分日])のため休刊でした。また、日曜日については夕刊が休刊となります。これに伴い、明日と明後日の配信はありません。

