吉川英治『三国志(新聞連載版)』(764)周瑜・気死す(二)
昭和17年(1942)3月19日(木)付掲載(3月18日(水)配達)
ターミナルページはこちら(外部サービス「note」にリンク)
前回はこちら → 周瑜・気死す(一)
***************************************
「都督つ。周都督」
「お気を慥(たしか)に持つて下さい」
呉の諸将は、周瑜の体を抱き起し、左右から悲痛な声をふり絞つた。
暫くして、周瑜は漸く、うす目をひらゐた。
「……船を。船を呉へ向けてくれ」
微(かす)かな声で云つた。
蔣欽と周泰は、病都督の身を守つて、柴桑まで帰つた。
周瑜は恨みをのみながら、ふたたび病牀に親しむのほかなかつた。
けれど、やがてこの始末を知つた呉侯孫権の鬱憤はやりばもなく、日夜、
「どうしてこの報復を」
と、玄徳を憎んでゐた。
ところへ又、病中の周瑜から、長文な書簡が来た。
——君。一日も早く、兵馬を強大にし、荊州を討ち懲(こら)し給へ。
と、ある。
さらぬだに若い孫権、さう励まされなくても、鬱心勃々であつた孫権。忽ち、その気になつて、軍議を会さうとした。
「急に、何の御軍議ですか」
重臣張昭は、それと聞くや、すぐ彼の前に出て諫めた。
彼は、最初からの平和論者——といふよりも自重主義の文治派であつた。
「いま、赤壁の恥をそゝがんと、曹操が日夜再軍備にかゝつてゐることをお忘れですか。曹操がすぐにも大兵の再編成をして来ないのは、力がないからではありません。又、呉を怖れてゐるからでもありません。呉と玄徳との聯合を怖れてゐるのです。それを今もし呉が玄徳を攻め、両者の間に完全な戦争を生じれば、曹操は時機到来と、魏の全軍をあげて襲来しませう」
「では、どうしたらいゝか」
「それを如何にするかといふ問題より前に、しておかなければならない懸案があります」
「それは?」
「玄徳が曹操と和を結ばないやうに、処置を講じておくことです」
孫権はちよつと色を変へた。
「玄徳が——曹操と結ぶだらうか?」
「当然、有り得ることでせう。有り得ないことゝこちらが多寡を括つてゐれば猶更、その可能性は濃くなります」
「それは未然に警戒を要する」
「ですから——何よりもそれが当面の急です。てまへが思ふには、この呉にも、曹操の隠密がかなり入りこんでゐますから、すでにわが君が玄徳と面白からぬ感情にあることは、はや許都の曹操にも知れて居りませう。曹操は機を知ること誰(たれ)よりも敏ですから、或(あるひ)(ママ)はもう使を出して玄徳へ水を向けてゐるかもしれません。早くなければなりません——この対策は」
「むゝ。一朝、玄徳が魏と同盟するとなると、これは呉にとつて、重大な脅威になる。——それをどう防ぐかだが、何ぞ、良策があるか」
「すぐにも都へ使を上(のぼ)せ、朝廷へ表をさゝげて、玄徳を荊州の太守に封(ホウ)じるのが何よりと思ひますが」
「……」
孫権はおもしろくない顔をした。
張昭はたゝみかけて、若い主君を喩(さと)した。
「すべて外交の計は苦節です隠忍です。玄徳に出世を与へる。勿論、お嫌(いや)でたまらないでせうが、その効果は大きい。何となればそれに依つて曹操は、呉と玄徳との間に破綻を見出すことができません。玄徳もまたそれに感じて呉を恨む念を忘れませう。……かゝる状態に一応現状を訂正しておいてから、呉としては、間諜を用ひて徐々に曹操と玄徳との抗争を誘ひ、玄徳のそれに疲弊して来た頃を計つて荊州を奪(と)り上げてしまへばよいのです」
「敵地へ行つて、さういふ遠謀を巧みに植ゑつけるやうな間諜が、さし当つて、居るだらうか」
「をります。平原の人で華欽(クワキン)(ママ)、字(あざな)を子魚(シギヨ)といふ者。もと曹操に愛せられた男ですが、これを用ひれば適役でせう」
「呼べ。早速」
孫権は、その気になつた。
***************************************
次回 → 文武競春(一)(2026年3月19日(木)18時配信)

