吉川英治『三国志(新聞連載版)』(760)凛々(りん/\)細腰(さいえう)の剣(けん)(一)
昭和17年(1942)3月14日(土)付掲載(3月13日(金)配達)
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夜も日も馬に鞭打ちつゞけた。さる程に漸く柴桑の地へ近づいて来る。玄徳はやゝほつとしたが、夫人呉氏は何といつても女性(ニヨシヤウ)の身、騎馬の疲れは思ひやられた。
だが幸(さいはひ)、途中の一豪家で車を求めることが出来、夫人は車のうちに移した。そしてなほ道を急いで落(おち)延びた。
「やよ待て、玄徳の一行、呉侯の御命令なるぞ。縄をうけろ」
山の一方から大声(おほごゑ)がした。約五百の兵がふた手になつて追つて来たのだ。
趙雲は、騒ぐことなく、
「あとは、それがしが支へます。君には、遮二無二お先へ」
と、玄徳と夫人を、なほ奔(はし)らせた。
この日の難は、一応のがれたかに見えたが、次の日、また次の日と、玄徳の道は、先へ行くほど、塞がれてゐた。
すなはち柴桑の周瑜と、呉の孫権の廻符(クワイフ)はもう八方に行き亙(わた)つてゐた。水路も陸路も、往来には木戸の検(あらた)めが厳重を極め、要所には徐盛、丁奉の部下三千が遮断してゐた。
「ああ、いけない。この先には呉兵が陣してゐる。今は進退(シンタイ)谷(きはま)つたか」
玄徳が痛嘆すると、
「いや、孔明軍師は、あらかじめかゝる場合にも、嚢(ふくろ)の中(うち)から訓(をし)へられてゐます。かう遊ばせ」
趙雲がそれを彼の耳へ囁いた。玄徳はいくらか希望を取戻して、やがて夫人の車へ近づき、涙声(ルヰセイ)をふるはせて彼女へ告げた。
「妻よ、わが妻よ。こゝまでは共に来たが、玄徳はついにこゝで自害せねばならぬ。御身は無い縁とあきらめて、こゝより呉へもどられよ。九泉の下で後の再会を待つであらう」
夫人は、簾(レン)をあげて、愕(おどろ)きと涙の面(おもて)をあらはした。
「再び呉へ帰るくらゐなら、こゝまでも参りません。どうして急にそんな事を仰つしやるのですか」
「でも、呉侯の追手は前後に迫つて来るし、周瑜もそれを励まして、百方(ヒヤクハウ)路(みち)をふさいでゐる。所詮、捕はれて曳かれるものなら、生き辱(はぢ)をかゝないうちに、潔く自害して果てたが増(まし)と思ふからだ」
ところへ早くも、徐盛と丁奉は、部下を率ゐてこゝへ殺到した。夫人はあわてゝ玄徳を車のうしろに隠し、簾(レン)を払つて地上へ跳び降りた。
「それへ来たのは何者です。主君の妹に指でもさして御覧、おまへたちの首は、わたくしの母君が、半日だつてその儘(まゝ)にしておきはしませんから!」
と、鈴音(レイオン)を振鳴らすやうに声を張つて云つた。
「おゝ、呉妹君におはすか」
と、徐盛と丁奉とは、思はず地へ跪(ひざまづ)いた。主筋ではあるし、この女性の凡(たゞ)の女性でないことは、呉の臣下はみな知つてゐた。いや知つてゐるだけでなく、その男まさりな凛々たる気性や、母公だの兄孫権だのを動かす勢力には或る懼(おそ)れすら抱いてゐたのだつた。
「丁奉に徐盛ではないか」
「はつ。左様でございます」
「弓箭(キウセン)を帯し、兇兵を連れて、主人の車に迫るなど、謀叛人のすることです。お退(さ)がりつ」
「でも、呉侯の御命。また周都督のおさしづでもあります」
「周瑜が何ですか。周瑜のいひつけならおまへ方は謀叛もすると云ふのですか。兄の孫権とわたしの事ならば、兄妹(きやうだい)の仲です。家臣の差出るところではない」
「いや、貴方(あなた)様(さま)に危害を加へるのではありませぬ。たゞ玄徳を」
「おだまりつ。玄徳さまは大漢の皇叔、そして今はわが夫(つま)です。ふたりは母公のおゆるしを賜ひ、天下の前で婚礼したのです。おまへ方匹夫〔づれ〕が、指でもさしたら承知しませぬぞ」
柳眉を立て、紅(くれなゐ)の眦(まなじり)をあげて、夫人はその細腰(サイエウ)に帯してゐる小剣の柄(つか)に手をかけた。徐盛、丁奉はふるへ上つて、
「しばらく。……しばらくお怒りをおしづめ下さい」
と、あわてゝ手を振つた。
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