吉川英治『三国志(新聞連載版)』(761)凛々(りん/\)細腰(さいえう)の剣(けん)(二)
昭和17年(1942)3月15日(日)付掲載(3月14日(土)配達)
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夫人は耳も仮(か)さない。また怒りの色も収めなかつた。いよ/\叱つて云ふのである。
「おまへ方は、ひとへに周瑜ばかり怖れてゐるのであらう。早く立(たち)帰つて、いま私が云つた通りに、周瑜に伝へるがよい。もし周瑜がおまへ方を命に従はぬ者として斬つたなら、周瑜のごとき匹夫、立ちどころに私がこの剣で成敗してみせる」
徐盛も丁奉も、夫人の烈しいことばの下に、まつたく慴伏(セフフク)してしまつた。夫人はそれと見るや、車のうちへ翻(ひら)りと身を移して、
「それ、駈けよ。車を早めよ」
と、忽ち道を急がせた。
玄徳も馬の背に伏して駈け通つた。五百の兵もどか/\と足を早めた。丁奉、徐盛はみす/\眼の前にそれを見たが、趙雲子龍がすさまじい眼を耀(かゞや)かせて、道(みち)傍(ばた)に殿軍(しんがり)してゐた為、空しく一行を遣(や)り過し、やがて二、三里ばかり逍々(すご/\)と戻つて来た。
「やあ、どうした?」
彼方から来た馬上の二将軍は、ふたりを見かけて声をかけた。呉侯の命で後から大兵を率ゐて来た陳武と潘璋であつた。
「実は、これ/\です。如何せむ先は主君の御妹、こちらは臣下。頭から叱りつけられては、どうすることもできないので……」
「何、何。取逃がしたとか。さりとは気弱な。さあ続いて来い。妹君(マイクン)の叱咤など何か怖れん。こちらは呉侯の直命をうけて来たのだ。否やを云はばお首にしても!」
と、馬煙(うまけむり)を立てゝ追ひかけた。
先にゆく夫人の車と玄徳の一行は、長江の岸に沿つて急いでゐたが、又々、呼び止める者があるので、騒然一団になつて立ち淀んでしまつた。
夫人はふたゝび車から降りて追手の大将共を待つ。その姿を目がけ、陳武以下の四将は馬に鞭を加へてこれへ駈け込んで来た。
「何ですつ、その無礼な態(テイ)は。馬を降りなさい!」
凛々たる夫人の一声(ひとこゑ)を浴びて、四人は思はず馬から飛び降りた。そして叉手(サシユ)の礼を執つて起立してゐると、夫人は真白な指を屹(キツ)と四人の胸にさして、
「おまへ方は、緑林(リヨクリン)の徒か、江上の舟賊(シウゾク)か。呉侯の臣ならばそんな不作法な真似をするわけがない。主君の妹(いもと)に対してする礼儀を知らないのか。お坐りつ。跪(ひざま)づいて拝礼をするものです!」
四人の大将は、彼女の威と、絶倫な美と、その理に打たれて、不承々々、大地に膝をつき叉手を頭の上にあげて最大な敬礼をした。
漸く、すこし面を和(やは)らげて、それから夫人が訊ねた。
「いつたい、何しに、又これへ来たんですか」
潘璋が云つた。
「お迎への為にです」
と、夫人は首を振つた。
「呉へは帰りません」
「でも、呉侯の御命(ギヨメイ)ですぞ」
「わたし達は、母のゆるしに依つて城を出たのです。孝行な兄孫権が、母の意(こゝろ)に逆らふわけはない。おまへ方は何か聞きちがへて来たのでせう」
「いや/\。呉侯の仰せには、首にしてもとの厳命でした」
「わたくしを、首に?」
「……」
「首にしてもですつて?」
「……いや、その、失言しました。玄徳のほうをです」
「おだまりなさい!」
「はつ」
「この身に刃を擬すも、わが夫(つま)に刃(やいば)を擬すも、夫婦であるからには主筋に害意をさし挟む不敵に同じことですぞ。かりそめにも、そんな真似をしてごらんなさい。たとへ夫婦はこゝに死すとも、ここに居る趙雲がおまへ方を宥(ゆる)しては帰しません。また無事に逃げ帰つたところで、呉にゐますわが母が、何でおまへ方をたゞ措(お)きませう」
「……」
「さ。お起ち。それが覚悟なら矛(ほこ)なり槍なり持つて、わたくしの前に起(た)つて御覧」
四人の大将は、ひとりも起ち得なかつた。それにいつのまにか、玄徳は辺りに見えず、例の趙雲だけが、眼をいからして、夫人の傍らから離れずにゐた。
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次回 → 凛々細腰の剣(三)(2026年3月16日(月)18時配信)
なお、日曜日については夕刊が休刊のため、配信はありません。

