吉川英治『三国志(新聞連載版)』(759)朝の月(三)
昭和17年(1942)3月13日(金)付掲載(3月12日(木)配達)
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宮門を出るには、女房(ニヨウバウ)車(ぐるま)の備へがある。夫人はそれに乗つた。玄徳は美しい鞍をおいた駒に跨(また)がる。
中門を出る。城楼門を出る。
誰(たれ)も怪しまない。
番卒たちは、
「ほ、婿様と呉夫人が、おそろひで、どこへお出ましか」
と、羨望の眼を送るだけであつた。
元旦の朝まだきである。人はみな酔つてゐた。まだ明けきらぬ暁闇の空には、白い朝の月があつた。
外城門まで出ると、玄徳は、車を押す者や、供の武士たちを顧み
「あの森の中に新泉がある。そち達はみな垢を浄めて来い。けふは江の畔(ほとり)、先祖の祀(まつり)に行く。不浄は忌む」
と、云つてそこへ追ひ払つた。
かねて諜(しめ)し合せてゐた事なので、彼女はすでに車の中で身支度してゐた。平常でも腰に小剣を離さない夫人である。小さい弓を軽装に吊るし、頭(をもて)(ママ)から半身は被衣(かつぎ)のやうな布で隠してゐた。
車を降りると、彼女は、従者の置いて行つた一頭の駒へ、ひらと蝶のやうに縋(すが)りついた。玄徳もすぐ鞭を当てる。
「うまく行きましたね」
「いや、これからだよ、運のわかれ目は」
しかし玄徳はニコと笑つた。
呉夫人も微笑んだ。朝の月を避(よ)けた被衣(かつぎ)の陰でもその顔は梨の花より白かつた。
またゝく間に、長江の埠頭(フトウ)まで来た。この頃、日はすでに登つて揚子江の水は眩(まば)ゆいばかり元朝(グワンテウ)の紅波(コウハ)を打つてゐた。
「あつ、わが君、オヽ、御夫人にも」
「趙雲か。たうとう来た。こゝまでは上首尾だつたが、すぐ追手が来ようぞ、急がう」
「固(もと)より覚悟のこと、趙雲がお供(とも)仕(つかまつ)るからには御心配には及びません」
かねて五百の手勢は、趙雲と共にこゝに待(まち)受けてゐたので、玄徳と夫人を警固し、まつしぐらに陸路をとつて国外へ急いだ。
幸(さいはひ)にも、この事が、呉侯の耳に入るまでには、それから半日以上も暇(ひま)がかゝつた。原因は、外城門まで、夫人の車を押して出た士卒や供の武士が、
「どこまでお出でになつたのか」
と、かゝる出来事とも知らず、江辺を捜し廻つたり、後難を惧(おそ)れて徒(いたづ)らに上訴の時を移してゐた為である。
いよ/\それと真相が判明したのはすでに夕方に迫つてゐた。終日の宴に呉侯は大酔して眠つてゐたところであつたが、聞くや否、冲天(チウテン)の怒気をなして、
「おのれ履(くつ)売(うり)奴(め)、恩を仇で返すばかりか、わが妹を奪つて逃げるとは」
と、傍らの几(つくゑ)にあつた玉硯(ギヨクケン)をつかんで床に砕いたといふ。
それからの慌(あわたゞ)しい評議。間もなく宵の城門を、五百餘りの精兵が、元日の夜といふのに、剣槍(ケンサウ)閃々と駈け出してゆく。
呉侯孫権の怒りはしづまらず、彼の罵る声が、夜になつても呉城の灯を顫(おのゝ)かせてゐた。急を聞いて登城した程普が、畏(おそ)る畏る彼にたづねた。
「追手の将には、誰(たれ)と誰(たれ)をお遣(つか)はしになりましたか」
「陳武と潘璋をやつた」
「御人数は」
「五百」
「あゝ、それではだめです」
「なぜだ」
「すでに呉妹君には、一たん良人(をつと)と契(ちぎ)られた玄徳に深く同意あそばして、この御脱出とぞんじます。さすれば、女性(ニヨシヤウ)ながら、日頃より尚武の御気質、あの男まさりな御剛気は、呉の将士とはいへ、みな深く怖れてゐるところです。いはんや陳武、潘璋のごときでは」
孫権はさう聞くと、いよ/\憤つて、たちまち、蔣欽、周泰の二将を喚(よ)び立て、
「汝等、この剣を持つて、玄徳を追かけ、必ず彼奴(きやつ)を両断し、また予の代りに、妹の首をも打つて持つて来い。もし命に違ふときは、屹度(きつと)、其(その)方どもを罪に問ふぞ」
と、身に佩(は)いたる剣を取外し、手づから二将に授けて、早く行けと急(せ)きたてた。
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