吉川英治『三国志(新聞連載版)』(757)朝の月(一)
昭和17年(1942)3月11日(水)付掲載(3月10日(火)配達)
ターミナルページはこちら(外部サービス「note」にリンク)
前回はこちら → 鴛鴦陣(えんあうぢん)(四)
***************************************
七日に亙(わた)る婚儀の盛典やら祝賀の催しに、呉宮の内外から国中まで、
「めでたい。めでたい」
と、千載万歳を謳歌してゐる中で、独りひそかに、
「何たることだ」
と、豫想の逆転と、計(はかりごと)の齟齬に、鬱憤のやりばもなく、仮病を称(とな)へて、一室のなかに耳をふさぎ眼を閉ぢてゐたのは呉侯孫権だつた。
すると、柴桑の周瑜から、忽ち早馬を以て、一書を送つて来た。
うはさを聞いて、周瑜も仰天したらしい。
金瘡の病患がまだ癒えぬため、
参るにも参られず、たゞ歯がみ
をしてをるばかりですが、かく
てやはあると、自ら心を励まし
病中筆を執つて、書中に一策を
献ず。ねがはくば賢慮を垂れ給
へ——
といふ書き出しに始まつて、縷縷(ルル)と今後の方策が認(したゝ)めてあつた。
「周瑜からかういふ謀を施せと云つて来たが、この計はどうだらう。また失敗に終つたら何もならぬが」
張昭に相談すると、張昭は、書簡の内容を検討してから、
「さすがに都督の遠謀、感心しました。——元来、劉玄徳は、少年早くより貧賤にそだち、その青年期には、各地を流浪し、まだ人間の富貴栄耀の味は知りません。……ですから周瑜都督が示された計(はかりごと)の如く、彼に、恣(ほしいまゝ)なる贅沢を与へ、大厦(タイカ)玉楼に無数の美女をあつめ、金繡(キンシウ)の美衣、山海の滋味と佳酒、甘やかな音楽、みだらな香料など、あらゆる悪魔の歓びさうな物をもつて、彼の英気を弱め鈍(にぶ)らせ、荊州へ帰ることを忘れさせれば、彼の国(くに)許(もと)にある孔明、関羽、張飛等も、あいそを尽かし、怨みをふくんで、自然、離反四散してしまふにちがひありません」
と、案を打つて賛同した。
孫権はよろこんで、
「では、玄徳の骨も腐るまで、贅沢の蜜(みつ)漬(づけ)にしてくれよう」
と、密かにその方針へかゝり始めた。
すなはち呉の東府に一楽園を造築した。楼宮の結構は言語に絶し園には花木を植ゑ、池畔には宴遊船をつなぎ、廊廂(ラウセウ)には数百の玻璃(ハリ)燈(トウ)を懸けつらね、朱欄には金銀をちりばめ、歩廊はこと/゛\く大理石や孔雀石を以て張つた。
「兄君もやはり心では妹が可愛いんですね。わたくしたち二人の為に、こんなに迄(まで)して下さるなんて」
呉妹——今では玄徳の妻たる新夫人は、さう云つて感謝した。
この若い新妻を擁して、玄徳はこゝに住んだ。金珠珍宝、無いものはない。綺羅(キラ)錦繡(キンシウ)、乏しいものはない。
食(くら)へば飽満の美味、飲めば強烈な薫酒、酔へば耳に猥歌(ワイカ)甘楽(カンガク)、醒むれば花鳥また嬋娟(センケン)の美女、——玄徳はかくて過ぎてゆく月日をわすれた。——いや世の中の貧乏とか、艱苦とか、精進とか、希望とかいふものまでをいつか心身から喪失してゐた。
「……ああ、困つたものだ」
それを見て、毎日、溜息ばかりついてゐたのは、彼の臣、趙雲子龍だつた。
「さうだ……一難一難、思案にあまつたら嚢(ふくろ)をひらけと軍師には云はれた。あの錦の嚢の第二は今開くときだらう」
孔明から餞別(はなむけ)に送られたその内の一つを、張雲(ママ)は急に開けてみた。すると果して孔明の秘策が今の心配によく当て嵌(はま)つてゐた。彼はさつそく侍女を通じて、玄徳に目通りを求めた。
「たいへんです。かうしては居られません」
いきなり告げたので、玄徳も驚かされた。
「何事が起(おこ)つたのか?」
「赤壁の怨みをそゝぐなりと号して、曹操みづから五十万騎を率ゐ、荊州へ攻めこんで来たとあります」
「えつ、荊州へ……。た、たれが報らせて来た、そのやうな事を」
「孔明が早舟を飛ばして、自身、呉の境まで注進に来たのです。荊州の危機、今に迫る。国(くに)許(もと)へ君を迎へて、一刻もはやく対策を講ぜねば、荊州の滅亡は避け難し——とあつて」
「それは、一大事」
「さ。すぐ御帰り下さい」
***************************************
次回 → 朝の月(二)(2026年3月11日(水)18時配信)

