吉川英治『三国志(新聞連載版)』(753)鴛鴦陣(えんあうぢん)(一)
昭和17年(1942)3月6日(金)付掲載(3月5日(木)配達)
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喬国老の邸(やしき)では、この大賓(タイヒン)をふいに迎へて、驚きと混雑に、ごつた返した。
「えつ。皇叔と呉妹君との結婚の談(はなし)があつたのですつて?」
初耳とみえて、喬国老は、桃のやうな血色を見せながら、眼をまろくした。
「しかし、それは何にしても、大慶のいたりだ。この女性(ニヨシヤウ)なら皇叔の正室となされても、決して悔いはあるまい。……ところで、呉城の宮中へは、今日御着船の由を、お届け召されたかの」
玄徳が、上陸早々、御訪問申したので、まだ呉城へは告げないと云ふと、
「それは、いかん、早速にも」
と、すぐ家臣を走らせ、また家族たちに命じては、玄徳の一行を心から歓待させて、
「ともあれ、わしも一応、宮中へ伺つて来る」
と白馬に乗つて登城した。
殿中でも大奥でも、国老は出入自在である。呉侯の老母、呉夫人に会つて、すぐ慶(よろこ)びをのべた。
すると、呉夫人は、怪訝(ケゲン)な顔をして、
「何ぢやと、あの玄徳が、権の妹を娶(もら)ひに来たのですつて。……まあ厚顔(あつか)ましい」
と、舌を鳴らした。
喬国老は、あわてゝ手を振りながら
「ちがふ、ちがふ。呉侯の方から呂範を婚姻の使にやつて、切に望んだので、遙々(はる/゛\)、玄徳も呉へやつて来たわけぢや」
「噓、噓。国老はわしを〔かつ〕いで笑はうと召さるの」
「ほんとです。噓と思し召すならば、街へ人を遣(や)つてごらんなさい」
呉夫人は、まだ信じない顔で、家士の一名に、城下の見聞(ケンモン)をいひつけた。
その者は、街を見て帰ると、すぐ呉夫人の前へ来て語つた。
「なるほど、大変に賑(にぎや)かです。河口には十艘の美船が着き、玄徳の随員だの、五百の兵士は、物珍しげに、市中を見物して歩きながら、豚(いのこ)(ママ)、酒、土産物の種々(くさ/゛\)など、頻(しき)りに買物しながら、わが主劉皇叔には、この度、呉侯のお妹(いもうと)姫(ひめ)と婚礼を挙げるのぢやと、彼方此方で自慢半分に喋舌(しやべ)つたものですから、御城下ではもう慶祝気分で寄るとさはるとそのお噂ですよ」
呉夫人は、哭(な)き出した。
忽ち彼女は、わが子の呉侯孫権のゐる閣へと、顔を袖で蔽(おほ)つたまま走つて行つた。
「母公、どうなさいましたか」
「おゝ権か。いかに老いても、わらはは御身の母ですぞ」
「何を仰つしやいます、今更」
「それ程、親を親と思ふなら、なぜわらはに無断で、女子(をなご)の大事な生涯を決めましたか」
「わけが分りません。何の事ですか、いつたい」
「それその通り、わらはを偽(あざむ)かうとするではないか。汝の妹にせよ、彼女(あれ)はわらはの子。玄徳へ嫁がす事などいつ許しましたか」
「あつ。誰(たれ)が、そんな事をお耳へ入れましたので」
「国老に訊いて御覧なさい」
と、母公は眼で〔きめつけ〕た。
呉夫人のうしろへ来て立つてゐた喬国老は、
「さう御(ご)母子(ボシ)のお仲で争ふことはないでせう。もう国中の人民も知つてゐることですからな。わしもその為、お慶びを申しあげに来たわけぢや」
と、うらゝかに胸を伸ばして万歳の意を表した。
孫権は、難渋した顔いろで、
「いや、その事なら、実はすべて周瑜の謀略なのだ。いま荊州を取らんには、また〔ぞろ〕夥(おびたゞ)しい軍費と兵力を消費せねばならん。詐(いつ)はつて婚礼と号し、玄徳をわが国へ呼び入れて、これを殺せば、荊州は難なく呉のものとなる。それ故に、呂範をやつて……」
云ひかける口を圧(おさ)へて、
「聞く耳は持ちません!」
と、呉夫人は前にも増して怒り出した。そして口を極めてその計を誹(そし)つた。
「憎(にく)や、周瑜ともある者が、匹夫にも劣る考へ。おのれ、呉の大都督として、八十一州の兵を閲(み)、君の大祿をいたゞきながら、荊州を攻取るぐらゐな事もできず、わらはの最愛な息女(むすめ)を囮(をとり)にして玄徳を誘(いざな)ひ、騙(だま)し討(うち)に殺して事を成さうとは……ええ、何たる無能ぞ。わらはの生きてゐる間は、決して彼女(あれ)をそんな謀略の囮に用ひることは許しません」
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