吉川英治『三国志(新聞連載版)』(750)柳眉(りうび)剣簪(けんしん)(三)
昭和17年(1942)3月3日(火)付掲載(3月2日(月)配達)
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急に、周瑜は声を落して、魯粛に教へた。
「貴公は、呉侯の御(お)妹(いもうと)君(ぎみ)に、謁したことがありはしないか」
「一、二度、お目通りしましたが」
「あの姫を、玄徳へ、嫁がすやうに、ひとつ茲(こゝ)で貴公は、その婚縁の媒人(なかだち)に、骨を折つてみられるがよい。——これは貴公の失敗を償ひ、また荊州を取(とり)回(かへ)すに、絶好な妙策であり、今がその又なき機会だ」
「えつ。……呉侯の御妹君を玄徳へですつて?」
鸚鵡(アウム)がへしに呟きながら、魯粛は、啞然たる顔つきを示した。
周瑜は、笑つて、
「いや、わしの云ひ方が唐突だから、貴公は吃驚(びつくり)したかも知れんが、何もこれは決して、突飛な思(おもひ)附(つき)ではない。極めて合理的に相談(はなし)は運んで行けると思ふ」
「どうしてですか。玄徳には正室の甘夫人があるのに、まさか呉侯の御妹君を、彼の側室へなどと……第一そんな縁談を呉侯のお耳へ入れることだつて憚(はゞか)られるではありませんか」
「いや/\さうではない。貴公はまだ知らんのだ。玄徳の正室甘夫人は、病に斃れて逝(な)くなつてゐる。赤壁の戦やらその後の転戦で、葬儀も延ばしてゐたが、間者の報(し)らせでは、荊州城には白い弔旗を掲げてゐたといふことだ」
「それは、劉琦の死を悼んでゐたのではありませんか」
「ちやうど、劉琦の死とつゞいたので、さう思つてゐる者もあるらしいが、わしが聞いたのは、その以前だ。まだ劉琦も死なぬうちに、荊州の城外に新しい墳墓(つか)を築いてゐたといふから、よもや劉琦の葬儀ではないだらう」
「それは少しも知りませんでした。では今、玄徳に正室はないわけですか、それにしてもすでに彼は五十歳です。一方、妙齢の呉妹君(ゴマイクン)はお十六かお十七でせう。……どんなものでせうな、この花嫁花婿の縁むすびは」
「どうも貴公は、何事もすぐその儘(まゝ)、真正直に考へるので融通が利かん。元よりこの婚儀は初めから謀略に極つてゐる。さきに玄徳は孔明を用ひて呉を謀つたから、こんどは此方(こちら)から計を酬(むく)うてくれるのだ。すなはち、さういふ斡旋に物馴れた人物をもつて、この際、呉国との友交を、より以上親密にせんといふ理由を表面に立てゝ、同時に、呉妹君との縁談を運ばせるにある」
「さあ?どうでせうか」
「何を不安な顔して喞(かこ)たるゝか」
「誰(たれ)よりも、呉侯が御承知にならないでせう。非常に可愛がつてゐる御妹ですからな」
「だから何も、婚儀は取りむすんでも、輿(こし)入(いれ)までなさるには及ばんさ。式典は呉で挙げればいゝ。婚儀の挙式がすんだら荊州へお伴(つ)れなさいといふわけだ。玄徳に否やはあるまい。要するに、彼を呉へ招いて、花嫁の顔を見せたゞけで済む。いづれ挙式の前後に、機を計つて、刺し殺してしまふのだから」
「ははあ。するとつまり彼を殺害する為に、婚儀を行ふわけですな」
「もちろん、その目的もなく、何でこんな縁談が云ひ出せるものか」
「それにしても、それがしから呉侯へおすゝめ申すのは、どうも少しまづいと思ひますが」
「よろしい。貴公はたゞ側面から、それとなく主君の御意をうごかし給へ。仔細の事や此方(こちら)の謀略は、べつに詳しく認(したゝ)めて、この周瑜ら呉侯へ手紙を書くから」
「いや、さう願へれば、非常に助かります」
魯粛は、彼の書簡を預かつて、それを力に呉都へ帰つた。そして早速、呉侯孫権にまみえ、有(あり)の儘(まゝ)を復命し、また帰路、周瑜から預かつて来た手紙も共に差出した。
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