吉川英治『三国志(新聞連載版)』(740)白羽扇(びやくうせん)(七)
昭和17年(1942)2月19日(木)付掲載(2月18日(水)配達)
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陳応、鮑龍のふたりは、
「わが事成る」
と、すつかり油断してしまつたらしい。趙雲のもてなしに乗つて泥のやうに酔つてしまつた。
趙雲は、頃を計つて、至極簡単に二人の首を斬り落した。そして彼の部下等にも酒を振舞ひ、引出物を与へなどしておいて、
「此方の手勢に従いて働けばよしさもなくば、陳応、鮑龍のやうにするがどうだ」
と、首を示して説いた。
五百の部下は、降伏して、忽ち趙雲の手勢に加はることを約した。趙雲は、その夜のうちに、この五百名を先頭に立たせ、後から千餘騎の本軍をひいて、桂陽の城へ押し襲(よ)せた。
城主趙範は、使にやつた鮑龍、陳応が帰つて来たものとばかり信じてゐた。門を開けて、
「首尾はどうだつた?」と、味方の五百人へ訊ねた。
すると、その後から、趙子龍以下、千餘の軍勢がなだれこんで来たので、仰天したが、もう間に合はなかつた。
趙子龍は何の苦もなく、趙範を生捕りとし、城旗を蹴落して、新に玄徳の旗をひるがへし、
「桂陽の占領は成り終んぬ」
と、事の次第を、遙かなる玄徳、孔明のところへ早馬した。
日を経て、玄徳は入城した。孔明は直(たゞち)に、虜将趙範を趙雲に曳かせて、階下に引すゑ、一応、その口述を聞いた。
趙範は、哀訴して、
「元々てまへは本心から降参して御麾下に加はることを光栄としてゐたのです。ところが、てまへの嫂を子龍将軍に献じようと申したのが、なぜか将軍の怒りにふれて、再度城を攻撃され、それがし迄(まで)、このやうな縄目にかけられた次第でして、何故の罪科を以てこんな目に遭ふのか諒解に苦しみます」
孔明はまた趙子龍に向つて、
「美人といへば、愛さぬ人はないのに、御身はなぜ怒(いか)つたのか」
と、訊いてみた。
趙子龍はそれに答へた。
「さうです。私も美人は嫌ひではありません。けれど、趙範の兄とは、遠い以前、故郷で一面識があるものです。今、それがしがその人の妻(つま)を以て妻(サイ)としたら、世の人に唾(つば)されませう。また、その婦人がふたゝび嫁ぐときは、その婦人は貞節の美徳を失ひます。次にはそれを拙者にすゝめた趙範の意中もただ真偽のほどは知れず、更に考へさせられた事は、わが君が、この荊州を領せられても、まだ日は浅いといふ事でした。新占領治下の民心は決してまだ安らかではありません。然るにその翼臣たるそれがし輩(ハイ)が、逸(いち)早く驕(おご)りを示し人民の範たることを打(うち)忘れ、政治(まつり)を怠りなどしてゐたら、折角、わが君の大業もこゝに挫折するやも知れません。尠(すくな)くも、こゝに民望をつなぎ得ることはできません。——以上の諸点を考へては、いくら好きな美人であらうとそれがしの意(こゝろ)をとらへるには足りません」
温顔に笑みを含んで聞いてゐた玄徳は、そのとき側(そば)から口を開いて、また子龍に云つた。
「——併(しか)し、今はもうこの城も、わが旗の下に、確乎と占領されたのだから、その美人を娶(めと)つて、溺れない程度に、そちの妻としても誰(たれ)も非難するものはないだらう。玄徳が媒人(なかうど)してとらせようか」
「いや、お断りします。天下の美人、豈(あに)、一人に限りませうや。それがしは、唯(たゞ)それがしの武名が、髪の毛ほどでも、天下に名分が立たないやうな事があつてはならん——と、それのみを怕(おそ)れとします。何で妻子が無いからといつて、武人たるものが、憂愁を抱(いだ)きませう」
玄徳も孔明も、黙然とふかく頷(うなづ)いたまゝ、後は多くも云はなかつた。趙子龍こそ真に典型的な武人であると、後には人にも語つたことであつたが、其(その)時(とき)はわざと一片の恩賞を以て賞したに止まつた。
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