吉川英治『三国志(新聞連載版)』(738)白羽扇(びやくうせん)(五)
昭和17年(1942)2月17日(火)付掲載(2月16日(月)配達)
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この陳応といふ者は、飛叉(ヒシヤ)と称する武器を良く使ふ。二股の大鎌槍とでも云ふやうな凄い打物(うちもの)である。
だが、趙雲に向つては、その大道具も児戯に見えた。
馬と馬を駈け合せて、戦ふこと十数合。もう陳応は逃げ出してゐた。
「口ほどでもないやつ」
と、追ひかけると、陳応は、何をつと喚(をめ)いて、飛叉を投げつけた。趙雲は、それを片手に受けて、
「返すぞ」
と、咄嗟(トツサ)に投げ返した。
陳応の馬が、竿(さを)立ちになつた。趙雲は猿臂(ヱンピ)をのばして、その襟がみを引つ摑(つか)み、陣中へ持ち帰つて訓戒を与へた。
「およそ喧嘩をするにも、相手を見てするがいゝ。汝等の恃(たの)む兵力と、劉皇叔の精鋭とは、ちやうど今日のおれと貴様との闘ひみたいなものだ。今日のところは、放してやるから、城中へ戻つて、よく太守趙範にも告げるがいゝ。何も求めて滅亡するにはあたるまい」
と陳応は、野鼠のやうに城へ逃げ帰つた。
太守の趙範は、
「それ見たことか」
と、初めに強がつた陳応を却(かへ)つて憎み、城外へ追出してしまつた後、あらためて趙雲子龍へ、降参を申入れた。
趙雲は満足して、この従順な降将へ、上賓の礼を与へ、更に酒など出してもてなした。
趙範は、途方もなく喜悦して、
「将軍とてまへとは、同じ趙氏ですな。同姓であるからには、先祖はきつと一家の者だつたにちがひない。どうか長く一族の好誼(よしみ)をむすんで下さい」
と、兄弟の盃(さかづき)を乞ひ、なほ生れ年をたづねたりした。
生れた年月を繰つてみると、趙雲のはうが四ケ月ほど早く生れてゐる。趙範は額を叩いて、
「ぢやあ、貴方(あなた)が兄だ」
と、もう独り極(ぎめ)に決めて、嬉しい尽(づく)めに包まれたやうな顔して帰つた。
次の日、書簡が来た。
実に美辞麗句で埋つてゐる。
そんな物をよこさなくても、趙雲は堂々入城する豫定であつたから、部下五十餘騎を引率して、城内へ向つた。
許都、襄陽、呉市などから較べれば、比較にならないほど規模の小さい地方の一城市だが、それでもこの日は、郡中の百姓みな香を焚いて辻に出迎へ、商戸や邸門はすべて道を掃いてゐた。城に入ると、趙雲はすぐ、
「四門に札を揚げい」
と、命じた。
四民に対して、政令を示すことだつた。これは、一城市を占領すると、例外なく行はれることである。
終ると、趙範は、自ら迎へて、彼を招宴の席に導いた。
そこで降参の城将が、この後の従順を誓ふ。
趙子龍は大いに酔つた。
「席を更へませう。興も革(あらた)まりますから」
後堂へ請じて、また佳肴芳盞(カカウハウサン)をならべた。後堂の客は、家庭の客である。下へも措かないもてなしとはこの事だつた。
だいぶ酩酊して、
「もう帰る」
と、趙子龍が云ひ出した頃である。まあ/\と引止めてゐるところへ、ぷーんと異薫(イクン)が流れて来た。
「おや?」
と、趙子龍が振向いてみると、雪のやうな素絹(ソケン)をまとつた美人が楚楚と入つて来て、
「お呼び遊ばしましたか」
と、趙範へ云つた。
趙範はうなづいて、
「ああ。こちらは、子龍将軍でいらつしやる。しかもわが家(や)と同じ趙姓だ。お昵懇(ちかづき)をねがつて、何かとおもてなしするがいゝ」
と、席へ倚(よ)らせた。
趙子龍は改まつて、
「こちらは誰方(どなた)ですか」
と、その美貌に、眼を醒ましたやうに、趙範を顧みて訊ねた。
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