吉川英治『三国志(新聞連載版)』(735)白羽扇(びやくうせん)(二)
昭和17年(1942)2月13日(金)付掲載(2月12日(木)配達)
ターミナルページはこちら(外部サービス「note」にリンク)
前回はこちら → 白羽扇(一)
***************************************
零陵の太守劉度は、嫡子の劉延(リウエン)をよんで、
「いかに玄徳を防ぐか」
を、相談した。
父の顔色には怯(おび)えが見えてゐる。劉延は、切歯して、
「関羽、張飛などの名がものものしく鳴り響いてゐますが、わが家中にも、邢道栄(ケイダウエイ)があるではありませんか」
と、励ました。
「邢道栄ならそれに当り得るだらうか」
「彼ならば、関羽、張飛の首を取るのも、さしたる難事ではありますまい。つねに重さ六十斤の大鉞(おほまさかり)を自由に使ふといふ無双な豪傑ですし、胸中の武藝もまた、いにしへの廉頗(レンパ)、李牧(リボク)に優るとも劣るものではありません。日頃から豪勇の士を何のために養つておかれるのですか」
劉延は、さう云つて父に一万騎を乞ひ、その邢道栄を先陣に立てて、城外三十里に陣取つた。
玄軍一万五千は、すでにこの辺まで殺到した。漠々の戦塵はこゝに揚り、刻一刻、その領域は侵された。
「反国の賊、流離の暴軍、なに故、わが境を侵すか」
乱軍の中へ馬を出し、邢道栄は大音に云つて迫つた。有名なる彼の大鉞は、すでに鮮血に塗られてゐた。
すると、彼の前に、一輛の四輪車が、埃をあげて押し出されて来た。見ればその上に、年まだ二十八九としか思はれぬ端麗な人物が、頭に綸巾(リンキン)をいたゞき、身には鶴氅(カクシヤウ)を着、手に白羽扇を持つて、悠然と乗つてゐる。——何かしら恟(ぎよ)ツとしたものを受けたらしく、邢道栄が悍馬の脚を不意に止めると、車上の人は、手の白羽扇をあげて麾(さしまね)きながら、
「それへ来たのは、鉞をよく振るとかいふ零陵の小人か。われはこれ南陽の諸葛亮孔明である。聞きも及ばずや、さきに曹操が百万の軍勢も、この孔明が少しばかりの計を用ふるや、忽ち生きて帰る者はひとりもない有様であつた。汝等、湖南の草民づれが、何するものぞ。すみやかに降参して、民の難を少くし、身の生命(いのち)をひろへ」
「わはゝゝ。聞き及ぶ孔明とかいふ小利巧者は貴様だつたか。青二才の分際で、戦場に四輪車を用ふるなどゝいふ容態振りからして嘔吐(へど)が出る。赤壁で曹操を破つたものは、呉の周瑜の智とその兵力だ。小賢しい〔われこそ〕顔、片腹いたい」
喚(わめ)き返すやいな、大鉞を頭上にふりかぶり、悍馬の足を、ぱつと躍らせて来た。
孔明の四輪車は、忽ち、ぐわらぐわらツと一廻転した。後を見せて、逃げ出したのである。進むにも退(ひ)くにも、それは多勢の力者(リキシヤ)が押し、そして無数の刀槍でまはりを守り固めて行く。
「待てツ」
邢道栄は、追ひかけた。
車は渦巻く味方を搔(かき)分けて深く逃げこみ、やがて柵門の中へ駈け入つてしまつた。
「孔明々々。首をおいて行け」
邢道栄はあきらめない。大波を割るやうに、鉞の下に、敵兵を睥睨(ヘイゲイ)し、いつか柵門もこえて、なほ彼方(かなた)此方(こなた)、四輪車の行方をさがしてゐた。すると、山の腰に黄旗を群れ立てゝ、凝(じつ)としてゐた一部隊が、むく/\と此方(こつち)へうごいて来た。その真先に馬を躍らして来た一人の大将は、偉大な矛(ほこ)を横たへて、
「劉皇叔の下(もと)に、人ありと知られたる、燕人張飛とは、すなはちわが事。おのれは果報者だぞ、おれの手にかゝるとは」
と、雷のやうに蒐(かゝ)つて来た。
「何をつ。——この鉞が目に見えぬか」
邢道栄は、自信満々、大きな表情をしてそれを迎へたが、一丈八尺の大矛と、六十斤の鉞では得物において互角だつたが、力量にかけて邢道栄は張飛に及ばぬこと遠かつた。
「かなはん」
と、見きりをつけて、大鉞は逃げ出した。ところが、その先へ迫つて、また一名の強敵が、彼の道へ立ち塞がつた。
「常山の趙雲子龍とはそれがしなり。道栄つ、無用の鉞を地に捨てよ」
***************************************
次回 → 白羽扇(三)(2026年2月13日(金)18時配信)

