吉川英治『三国志(新聞連載版)』(729)一摑三城(いつくわくさんじやう)(五)
昭和17年(1942)2月5日(木)付掲載(2月4日(水)配達)
ターミナルページはこちら(外部サービス「note」にリンク)
前回はこちら → 一摑三城(四)
***************************************
茲(こゝ)、周瑜の得意は思ふべしであつた。まさに常勝将軍の概がある。夷陵を占領し、無事に甘寧を救ひ出し、更に、勢ひを数倍して、南郡の城を取り囲んだ。
「……はてな?敵の兵はみな逃げ支度だぞ。腰に兵糧をつけてをる」
城外に高い井楼(セイロウ)を組ませて、その上から城内の敵の防禦ぶりを望見してゐた周瑜は、かうつぶやきながら猶、眉に手をかざしてゐた。
見るに、城中の敵兵は大体三手にわかれてゐる。そして悉(こと/゛\)く外矢倉や外門に出て、その本丸や主要の墻(かき)の陰には、頗(すこぶ)る士気のない紙旗や幟ばかり沢山に立つてゐて、実は人もゐない気配であつた。
「さては、敵将の曹仁も、こゝを守り難しと覚つて、外に頑強に防戦を示し、心には早くも逃げ支度をしてをると見える。——よし。さもあらば唯(たゞ)一撃に」
と、周瑜は、みづから先手の兵を率ゐ、後陣を程普に命じて、城中へ突撃した。
すると一騎、むらがる城兵の中から躍り出て、
「来れるは周瑜か。湖北の驍勇(ゲウユウ)曹洪とは我なり。いざ、出で合へ」
と、名乗りかけて来た。
周瑜は、一笑を与へたのみで、
「夷陵を落ちのびた逃げ上手の曹洪よな。さる恥知らずの敗将と矛を交へるが如き周瑜ではない。誰(たれ)か、あの野良犬を撲殺せい」
と、鞭をもつて部下をさしまねいた。
「心得て候ふ」
と、陣線を越えて、彼方へ馬を向けて行つたのは呉の韓当であつた。
人交ぜもせず、二人は戦つた。交戟三十餘合、曹洪はかなはじとばかり引き退く。
するとすぐ、それに代つて、曹仁が馬を駈け出し、大音をあげて、
「気(き)怯(おく)れたか周瑜、こゝろよく出て、一戦を交へよ」
と、呼ばはつた。
呉の周泰がそれに向つて、又(また)復(また)曹仁を追ひ退けてしまつた。こゝに至つて、城兵は全面的に崩れ立ち、呉軍は勢ひに乗つて、滔々と殺到した。
喊鼓(カンコ)、天をつゝみ、奔煙、地を捲いて、
「今なるぞ。この期を外すな」
と、周瑜の猛声は、味方の潮を率ゐてまつ先に突(つき)進んでゆく。
息もつかせぬ呉兵の急追に、度を失つたか曹仁、曹洪をはじめ、城門へも逃げ込み損ねた守兵は、みな城外の西北(いぬゐ)へ向つて雪崩(なだ)れ打つて行つた。
すでに周瑜は城門の下まで来てゐた。見まはすところ、こゝのみか城の四門はまるで開け放しだ。——いかに敵が狼狽して内を虚(うつろ)にしてゐたかを物語るやうに。
「それつ、城頭へ駈け上つて、呉の旗を立てろ」
と、もう占領したものと思ひこんでゐた周瑜は、うしろにゐる旗手を叱咤しながら、自身も城門の中へ駈けこんだ。
すると、門楼の上からその様子をうかがつてゐた長史陳矯が、
「あゝ、将(まさ)にわが計略は図に中(あた)つた。——曹丞相が書き遺(のこ)された巻中の秘計は神に通ずるものであつた!」
と、感嘆の声を放ちながら、傍らの狼煙筒(のろしづつ)へ火を落すと、轟音一声、門楼の宙天に黄いろい煙の傘がひらゐた。
とたんに、辺りの墻壁(シヤウヘキ)の上から弩弓(いしゆみ)、石鉄砲の雨がいちどに周瑜を目がけて降りそゝいで来た。周瑜は仰天して、駒を引つ返さうとしたが、あとから盲目的に突入して来た味方に揉まれ、うろ/\してゐるうちに、足下(ソクカ)の大地が一丈も陥没した。
陥(おと)し穽(あな)であつたのだ。上を下へと蠢(うごめ)く将士は、坑(あな)から這ひ上るところを、殲滅的に打ち殺される。周瑜は、からくも馬を拾つて、飛び乗るや否、門外へ逃げ出したが一閃の矢うなりが、彼を追ふかと見るまに、グサと左の肩に立つた。
だうつと馬から転げ落ちる。そこを敵中の一将牛金が、首を掻かうと駈けて来るのを、呉の丁奉、徐盛等が、馬の諸(もろ)膝(ひざ)を薙(な)ぎ払つて牛金を防ぎ落し、周瑜の体をひつかついで呉の陣中へ逃げ帰つた。
***************************************
次回 → 一摑三城(六)(2026年2月5日(木)18時配信)

