吉川英治『三国志(新聞連載版)』(721)功なき関羽(二)
昭和17年(1942)1月27日(火)付掲載(1月26日(月)配達)
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「最期だつ。もういかん!」
一言、絶叫すると、曹操はもう観念してしまつたやうに、茫然戦意も失つてゐた。
彼ですらさうだから、従ふ将士もみな、
「関羽だ。関羽が襲(よ)せて来る——」
とばかり顫(をのゝ)き震へて、今は殲滅されるばかりと、生きた空(から)もない顔を揃へてゐたのは無理もない。——が、ひとり程昱は、
「いや何も、さう死を急ぐにはあたりません。どんな絶望の底にあらうと、最後の一瞬でも、一縷(イチル)の望みをつないで、必死を賭してみるべきでせう。——それがし、関羽が許都にありし頃、朝夕に、彼の心を見て、およそその人がらを知つてゐる。彼は、仁俠の気に富み、傲(をご)る者には強く、弱き下の人々にはよく憐れむ。義のために身を捨て、ふかく恩を忘れず、その節義の士たることすでに天下に定評がある。——曽(かつ)て玄徳の二夫人に侍して、久しく許都にとゞまつてゐた当時、丞相には、敵人ながら深く関羽の為人(ひとゝなり)を愛(め)で給ひ、終始恩寵をおかけ遊ばされたことは、人もみな知り、関羽自身も忘れてはをりますまい」
「……」
曹操は、ふと瞑目した。追憶は甦(よみがへ)つてくる。さうだ!……と思ひ当つたやうに、その眸をくわつと見ひらいた時——すでに雪中の喊声は四囲に迫り、真先に躍つて来る関羽の姿が大きくその眼に映つた。
「おうつ……羽将軍か」
ふいに、曹操は、自身の方からかう大きく呼びかけた。
そして、われから馬をすゝめ、関羽の前へ寄るや否、
「やれ、久しや、懐(なつか)しや。将軍、別れて以来、つゝがなきか」
と、云つた。
それ迄(まで)の関羽は、さながら天魔の眷族(ケンゾク)を率ゐる阿修羅王のやうだつたが、はツと、偃月刀を後に引いて、駒の手綱を締めると、
「おう、丞相か」
と、馬上に慇懃、礼をして、
「——寔(まこと)に、思ひがけない所で会ふものかな。本来、久闊の情も叙(の)ぶべきなれど、主君玄徳の命をうけて、今日、これにて丞相を待ちうけたる関羽は、私(わたくし)の関羽にあらず。——聞く、英雄の死は天地も哭(な)くと。——いざ、いざ、潔くそれがしに御首を授けたまへ」
と、改めて云つた。
曹操は、歯を嚙み合せて、複雑な微笑をたゝへながら云つた。
「やよ、関羽。——英雄も時に悲敗を喫すれば惨たる姿ぢや。いま、われ戦ひに敗れて、この山嶮、この雪中に、わづかな負傷(ておい)(ママ)のみを率ゐて、まつたく進退こゝに谷(きは)まる。一死は惜しまねど、英雄の業、なほこれに思ひ止るは無念至極。——もし御辺にして記憶あらば、むかしの一言を思ひ起し、予の危難を見のがしてくれよ」
「あいや、おことば、御卑怯に存ずる。いかにも、むかし許都に在りし日、丞相の御恩を厚く被(かうむ)りはしたものゝ、従つて、白馬の戦ひに、いさゝか献身の報恩をなし、丞相の危急を救うてそれに酬(むく)ふ。今日はさる私情に囚(とら)はれて、私に赦(ゆる)すことは相成らぬ」
「いや、いや。過去の事のみ語るやうだが、将軍がその主玄徳の行方をなほ知らず、主君の二夫人に仕へて、敵中にそれを守護されてゐたことは、私の勤めではあるまい、奉公といふものであらう。曹操が乏しき仁義をかけたのは、御辺の奉公心に感動したからだつた。誰(たれ)かそれを私情と云はうや。——将軍は春秋の書にも明(あかる)しと聞く。かの庾(ユ)公(コウ)が子濯(シタク)を追つた故事も御存じであらう。大丈夫は信義をもつて重しとなす。この人生にもし信なく義もなく美といふものも無かつたら、実に人間とは浅ましいものではあるまいか」
諄々(ジユン/\)と説かれるうちに、関羽はいつか頭(かうべ)を垂れて、眼の前の曹操を斬らんか、助けんか、悶々、情念と知性とに、迷ひぬいてゐる姿だつた。
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