吉川英治『三国志(新聞連載版)』(718)山谷(さんこく)笑ふ(三)
昭和17年(1942)1月23日(金)付掲載(1月22日(木)配達)
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敗走、また敗走、こゝでも曹操の残軍は、さん/゛\に痛めつけられ、たゞ張遼、徐晃などの善戦に依つて、彼は辛(から)くも、虎口をまぬがれた。
「おう!降つて来た」
無情な天ではある。雨までが、敗軍の将士を苛(さいな)んで降りかゝる。それも、車軸を流すばかりな大雨(タイウ)だつた。
雨は、甲(よろひ)や具足をとほして、肌に沁(し)み入る。時しも十一月の寒さではあるし、道は〔ぬかり〕、夜はまだ明けず、曹操を初め幕下の者の疲労困憊は、その極に達した。
「——部落があるぞ」
漸く、夜が白みかけた頃。一同は貧しげな山村に辿りついてゐた。
浅ましや、丞相曹操からして、こゝへ来るとすぐ云つた。
「火はないか。何ぞ、食物(シヨクモツ)はないか」
彼の部下は、そこらの農家へ争つて入り込んで行つた。おそらく掠奪を始めたのだらう。やがて漬物(つけもの)甕(がめ)や、飯櫃(めしびつ)や、鶏(とり)や、干菜(ほしな)や漿塩壺など思ひゞに抱へて来た。
けれど、火を焚いて、それらの食物を胃ぶくろへ入れる間もなかつた。なぜなら部落のうしろの山から火の手が揚り、
「すは。敵だつ」
と、又(また)復(また)、逃げるに急となつたからである。
「敵ではないつ。/\」
と、その敵はやがて追ひかけて来た。何ぞ知らん、味方の大将の李典、許褚そのほか将士百人ばかり、山越えで逃げて来たものだつた。
「やあ、許褚も無事か。李典も居つたか」
焼跡から焼けのこつた宝玉を拾ふやうに、曹操は歓ぶのだつた。やがて共々、馬を揃へて、道をいそぐ。——陽は高くなつて、夜来の大雨も霽(は)れ、皮肉にも東南風(たつみかぜ)すらだん/\に凪(な)ぎてゐた。ふと、駒をとめて、曹操は、眼の前にかかつた二つの岐(わか)れ道を、後へたづねた。
「さればです」と、幕将のひとりが云ふ。
「——一方は、南夷陵の大道。一方は北夷陵の山路です」
「いづれへ出た方が、許都へ向ふに近いのか」
「南夷陵です。途中、葫蘆谷をこえてゆくと、非常に距離がみじかくなります」
「さらば、南夷陵へ」
と、すぐその道をとつて急いだ。
午(ひる)すぎた頃、すでに同勢は葫蘆谷へかゝつた。肉体を酷使してゐた。馬も兵も飢ゑつかれて如何とも動けなくなつて来た。——曹操自身も心身(シンシン)昏沌(コントン)たるものを覚える。
「やすめつ。——休まう」
下知をくだすや否、彼は馬を降りた。そして、先に部落から掠奪して来た食糧を一ケ所に集め、柴を積んで焚火とし、士卒たちは、盔(かぶと)の鉢や銅鑼(ドラ)を鍋に利用して穀類を炊(かし)いだり鶏(にはとり)を焼いたりし始めた。
「ああ、やつとこれで、すこし人心地がついた」
と、将士はゆうべからの濡れ鼠な肌着や戦袍(ひたたれ)を火に乾してゐる。曹操もまた暖を取つて後、林の下へ行つて、坐つてゐた。
憮然たる面持(おもゝち)で、彼は、天を凝視してゐたが、何を感じたか、
「はゝゝ。あはゝゝ」
と、独りで笑ひ出した。
諸将は、何か、恟(ぎよ)ツとしたやうに、彼へ向つて云つた。
「さきにも丞相は、大いにお笑ひになつて、まさか、その為でもありますまいが、趙雲子龍の追手を引き出しました。今また、何をさうお笑ひになるのですか」
曹操は、なほ、笑つて云ふ。
「孔明、周瑜、共に大将の才はあるが、まだ智謀の足らぬのを予は嘲(わら)ふのだ。もし曹操が敵ならば、こゝに一手の勢を伏せ——逸ヲ以テ労ヲ待ツ——の計をほどこすであらうに、さて/\抜かつたり」
そのことば、まだ終らぬうちに、忽ち、金鼓(キンコ)喊声(カンセイ)、四山に谺(こだま)し、あたりの樹林みな兵馬と化したかの如く、四方八面に敵のすがたが見えて来た。
中に、声あつて、
「曹操、よくぞ来た。燕人張飛これに待つたり。そこを去るな」
あなやと思ふまに、丈八の蛇矛、黒鹿毛の逸足、燦々(サン/\)たる甲盔(カフガイ)が、流星のごとく此方へ飛んで来た。
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