吉川英治『三国志(新聞連載版)』(716)山谷(さんこく)笑ふ(一)
昭和17年(1942)1月21日(水)付掲載(1月20日(火)配達)
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八十餘万と称(とな)へてゐた曹操の軍勢は、この一敗戦で、一夜に、三分の一以下になつたといふ。
溺死した者、焼け死んだ者、矢に中(あた)つて斃(たふ)れた者、また陸上でも、馬に踏まれ、槍に追はれ、何しろ、山をなすばかりな死傷をおいて三江の要塞から潰乱(クワイラン)した。
けれど、犠牲者は当然呉のはうにも多かつた。
「救へつ。救うてくれつ」
と、まだ乱戦中、波間に声がするので、呉将の韓当が、熊手で引上げてみると、こよひの大殊勲者、黄蓋だつた。
肩に矢をうけてゐる。
韓当は、鏃(やじり)を掘り出し、旗を裂いて瘡口(きずぐち)をつゝみ、早速、後方に送つた。
甘寧、呂蒙、太史慈などは、疾(と)くに、要塞の中心部へ突入して、十数ケ所に火を放つてゐた。
このほか、呉の凌統、董襲、潘璋なども、縦横無尽に威力をふるひ迫つた。
誰(たれ)か、その中の一人は、蔡中(ママ)を斬りころし、その首を槍のさきに刺して駈けあるいてゐた。
こんな有様なので、魏軍はその一隊として、戦ひらしい戦ひを示さなかつた。逃げる兵の上を踏みつけて逃げまろんだ。敵に追ひつかれて樹の上まで逃げあがつてゐる兵もある。それが見る/\うちに、バリ/\と、樹林諸共に焼き払われてしまふ。
「丞相、丞相。戦袍(センパウ)のお袖に火がついてゐますぞ」
後から駈けて来る張遼が馬の上から注意した。先へ鞭打つて落ちて行く曹操は、あわてゝ自分の袖を〔はた〕いた。
駈けても/\焰の林だ。山も焼け水も煮え立つてゐる。それに絶えず灰が雨の如く降つて来るので、悍馬(カンバ)はなほさら暴れ狂ふ。
「おうーいつ。張遼ではないか。おゝういツ」
後から追ひついて来た十騎ばかりの将士がある。味方の毛玠だつた。さきに深傷(ふかで)を負つた文聘がその中に扶けられて来る。
「こゝはどの辺だ」
息を喘ぎながら曹操は振向く。
張遼がそれに答へた。
「この辺もまだ烏林です」
「まだ烏林か」
「林のつゞく限り平地です。さしづめ敵勢も迅速に追ひついて来ませう。休んでゐる間はありません」
総勢わづか二十数騎、曹操は顧みて、暗澹とならずにゐられなかつた。
恃(たの)むは、馬の健脚だつた。さらに鞭打つて、後も見ずに飛ぶ。
すると、林道の一方から、火光の中に旗を打振り、
「曹賊つ。逃げる勿(なか)れ」
と呼ばる者がある。呉の呂蒙が兵とこそ見えた。
「あとは、それがしが殿軍(しんがり)します。たゞ急いで落ち給へ」
と、張遼が踏みとゞまる。
しかし又、一里も行くと、一(ひと)簇(むれ)の軍勢が奔突して、
「呉の凌統これにあり。曹賊、馬を下りて降参せよ」
と、いふ声がした。
曹操は、胆(きも)を冷やして、横〔ざま〕に林の中へ駈けこんだ。
ところが、そこにも、一手の兵馬が潜んでゐたので、彼は、しまつたと叫びながら、あわてゝ馬を回(かへ)そうとすると
「丞相々々。もう恐れ給ふことはありません。御麾下の徐晃です。徐晃これにお待ちしてゐました」
と、さけぶ。
「おうつ、徐晃か」
曹操は、大息をついて、ほつとした顔をしたが、
「張遼が苦戦であらう。扶(たす)けて来い」
と、云つた。
徐晃は、一隊をひいて、駈け戻つて行つたが、間もなく、敵の呂蒙、凌統の兵を蹴ちらして、重囲の中から張遼を助け出して帰つて来た。
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