吉川英治『三国志(新聞連載版)』(715)赤壁の大襲撃(三)
昭和17年(1942)1月20日(火)付掲載(1月19日(月)配達)
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何が炸裂するのか、爆煙の噴き揚るたび、花火のやうな焰が宙天へ走つた。次々と傾きかけた巨船は、まるで火焰の車輪のやうにグルグル廻つて、やがて数丈の水煙を被(かぶ)つては江底に影を没して行く。
しかも、この猛炎の津波と火の粉の暴風(あらし)は、江上一面にとゞまらず、陸の陣地へも燃え移つてゐた。
烏林、赤壁の両岸とも、岩も焼け、林も焼け、陣所々々の建物から、糧倉、柵門、馬小屋にいたるまで、眼に映るかぎりは焰々たる火の輪を繫いでゐた。
「火攻めの計は首尾よく成つたぞ。この機を外さず、北軍を撃滅せよ」
呉の水軍都督周瑜は、この夜、放火艇の突入する後から、堂々と、大船列を作つて、烏林、赤壁のあひだへ進んで来たが、味方の有利と見るや、更に、陸地へ迫つて、水陸の両軍を励ましてゐた。
優勢なる彼の位置に反して、ここに無残な混乱の中にあつたのは、曹操の坐乗してゐた北軍の旗艦とその前後に集結してゐた中軍船隊である。
「小舟を降ろせ。右舷へ小舟をつ——」
と、黒煙の中で叫んでゐたのは程昱か、張遼か徐晃か。
曹操を囲んで、炎の中から逃げようとする幕将にはちがひないが、その何人なるやさへも定かでなかつた。
「迅くツ。迅く!」と、舷(ふなべり)へ寄せた一小艇は、焰の下から絶叫する。揺々(エウ/\)たる大波(タイハ)は沸(に)え立ち、真つ赤な熱風はその舟も人も、またゝく間に焼かうとする。
「おうつ」
「おうつ。いざ丞相も」
ばら/\と、幕将連はそれへ跳び下りた。曹操も躍り込んだ。各各、身ひとつを移したのが〔やつと〕であつた。
けれど、それを見つけた呉の走舸(はやぶね)や兵船は、
「生捕れつ、曹操を!」
「のがすな、敵の大将を」
と、四方から波〔がしら〕と共に追つて来る。
波の上には焦(こ)げた人馬の死体や、焼打された船艇の木材や、さままざ(ママ)な物が漂つてゐた。曹操の一艇は、その中を、波にかくれ、飛沫(しぶき)につゝまれ、無二無三、逃げまはつてゐた。
すると一艘の蒙衡(モウカウ)(ママ)(皮革艇)に乗つて、こよひの奇襲船隊の闘将、呉の黄蓋が、曹操を討ちとる時は今なり、是が非でも、彼の首を挙げんものと、自身、快速なそれへ乗(のり)移つて、曹操を追ひかけて来た。
「逃ぐるは醜(きたな)し、魏の大丞相曹操たるものゝ名折れではないかつ。曹操、待てつ」
と、熊手を抱へて、舳(みよし)に立ち、味方の数隻と共に、漕ぎよせて来た。
「推参な!」
と、曹操の側から、張遼が突つ立つて、手にせる鉄弓から〔ぶん〕と一矢を放つた。矢は、黄蓋の肩に立ち、呀(あ)ツといふ声と共に、黄蓋は波間へ落ちた。
あわてた呉兵が、黄蓋の姿を水中に求めてゐるまに、辛(から)くも曹操は、烏林の岸へ逃げあがつた。しかし、そことて、一面の火焰、どこを見ても、面(おもて)も向けられない熱風であつた。
一時は、小(こ)歇(や)みかと思はれた風速も、この広い地域にわたる猛火にふたゝび凄まじい威力を奮ひ出し、石も飛び、水も裂けるばかりだつた。
「——夢ぢやないか?」
顧みて曹操は、茫然とつぶやいた。さもあらう。一瞬(いつとき)の前の天地とは、餘りな相違である。
対岸の赤壁、北岸の烏林、西方の夏水(カスヰ)こと/゛\く火の魔か敵の影ばかりである。そして、彼の擁してゐた大艦巨船小艇——はすべて影を没し、或(あるひ)(ママ)は今なほ、猛烈に焼け爛(たゞ)れてゐる。
「夢ではない!噫(あゝ)つ……」
曹操は、一嘆、大きく空へさけんで、落ち行く馬の背へ飛び乗つた。
青史に遺(のこ)る赤壁の会戦、長く世に謳(うた)はれた三江の大殲滅とは、この夜、曹操が味わつた大苦杯そのものを云ふ。そしてその戦場は、現今の揚子江流域の湖北省嘉魚県の南岸北岸にわたる水陸入り組んでゐる複雑な地域である。
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