吉川英治『三国志(新聞連載版)』(714)赤壁の大襲撃(二)
昭和17年(1942)1月18日(日)付掲載(1月17日(土)配達)
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程昱は、曹操の問に対して、言下にかう答へた。
「兵糧武具を満載した船ならば、かならず船脚(ふなあし)が深く沈んでゐなければならないのに、いま眼の前に来る船はすべて水深軽く、さして重量を積んでゐるとは見えません。——これ詐(いつは)りの證拠ではありませんか」
聞くと、さすがは、曹操であつた。一言を聞いて万事を覚つたものとみえる。
「うゝむ!いかにも」
と、大きく唸つて、その眼(まなこ)を、風の中に、爛々と研いでゐたが、くわつと口を開(あ)くやいな、
「しまつた!この大風(おほかぜ)、この急場、もし敵に火計のあるならば、防ぐ手〔だて〕はない。誰(たれ)か行つて、あの船隊を、水寨の内へ入れぬよう防いでをれ」
後の策は、後の事として、取(とり)敢(あへ)ずさう命令した。
「おうつ」と答へて、
「それがしが防ぎとめてゐる間に早々、大策をめぐらし給へ」
と、旗艦から小艇へと、乗り移つて行つたのは、文聘であつた。
文聘は、近くの兵船七、八隻、快速の小艇十餘艘をひきつれて、波間を驀進(バクシン)し、たちまち彼方(あなた)なる大船団の進路へ漕ぎよせ、
「待ち給へ。待たれよ」
と、舳(みよし)に立つて大音(ダイオン)に呼ばはつた——
「曹丞相の命令である。来るところの諸船は、のこらず水寨の外に碇(いかり)を下(おろ)し、舵(かぢ)を止め、帆綱を弛(ゆる)められい!」
すると、答へもないばかりか、依然、波がしらを嚙んで疾走して来た先頭の一船から、びゆんと、一本の矢が飛んで来て文聘の左の臂(ひじ)に中(あた)つた。
わつと、文聘は船底へころがつた。同時に、
「すはや。降参とは詐(いつは)りだぞ」
と、船列と船列とのあひだには、まるで驟雨(シウウ)のやうな矢と矢が射(い)交(かは)された。
このとき、呉の奇襲艦隊の真中にあつた黄蓋の船は、颯々(サツ/\)と、水煙の中を進んで来て、はや水寨の内へ突入してゐた。
黄蓋は、船楼にのぼつて、指揮に声をからしてゐたが、腰なる刀を抜いて、味方の一船列をさしまねき、
「今ぞつ、今ぞつ、今ぞつ。曹操が自慢の巨艦大船は眼のまへに展列して、こよひの襲撃を待つてゐる。あれ見よ、敵は混乱狼狽、為すことも知らぬ有様。——それつ、突込め!突込んで、縦横無尽に暴れちらせ!」
と、激励した。
かねて、巧みに偽装して、先頭に立てゝ来た一団の爆火船隊——煙硝、油、柴などの危険物を腹いつぱい積んで油幕(ユマク)を以て蔽(おほ)ひ隠して来た快速艇や兵船は——いちどに巨大な火焰を盛つて、どつと、呉(ママ)の大艦巨船へぶつかつて行つた。
ぐわうつと、焰(ほのほ)の音とも、濤(なみ)の音とも、風の声ともつかないものが、瞬間、三江の水陸をつゝんだ。
火の鳥の如く水を翔(か)けて、敵船の巨体へ喰ひついた小艇は、どうしても、離れなかつた。後で分つたことであるが、それらの小艇の舳(へさき)には、槍のやうな釘が植ゑならべてあり、敵船の横腹へ深く突きこんだと見ると、呉兵はすぐ木の葉のやうな小舟を降ろして逃げ散つたのであつた。
なんで堪(たま)らう。いかに巨(おほ)きくとても木造船や皮革船である。見るまに、山のやうな、紅蓮(グレン)と化して、大波の底に沈没した。
もつと困難を極めたのは、例の連環の計に依つて、大船と大船、大艦と大艦は、殆(ほとん)どみな連鎖交縛してゐたことである。そのために、一艦炎上すればまた一艦、一船燃え沈めばまた一船、殆(ほとん)ど、交戦態勢を作るいとまもなく、焼けては没し、燃えては沈み、烏林湾の水面はさながら発狂したやうに、炎々と真赤に逆巻く渦、渦、渦をゑがいてゐた。
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