吉川英治『三国志(新聞連載版)』(712)降参船(かうさんぶね)(五)
昭和17年(1942)1月16日(金)付掲載(1月15日(木)配達)
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東南風(たつみ)は吹く。東南風(たつみ)は吹く。
生(なま)温(ぬる)い異様な風だ。
きのふからの現象である。——さてこの前後、曹操の起居は如何に。魏の陣営は、どう動いてゐたらうか。
「これは不吉な天変だ。味方にとつて歓ぶべきことではない」
かう云つてゐたのは、程昱であつた。曹操に向つてゞある。
「丞相よろしく賢察し給へ」
と、敢て智を誇らなかつた。
すると曹操は云つた。
「何でこの風が味方に不吉なものか。思へ。時は今冬至である。万物枯れて陰極まり、一陽生じて来復の時ではないか。この時、東南の風競ふ。何の怪しむことがあらうぞ」
こんな所へ、江南の方から一舟が翔(か)けて来た。波も風もすべて、南からこの北岸へと猛烈に吹きつけてゐるので、その小舟の寄つて来ることも飛ぶが如くであつた。
「黄蓋の使です」
と、小舟は一封の密書をとゞけて去つた。
「なに、黄蓋から?」
待ちかねてゐたらしい。曹操は手づから封を切つた。読み下すひとみも何か忙(せは)しない。
書中の文に曰(い)ふ。
かねての一儀、周瑜が軍令きびしき為、軽率にうごき難く、ひたすら好機を相待つうち、時節到来、先頃より鄱陽湖に貯蔵の粮米(ラウマイ)そのほか夥(おびたゞ)しき軍需の物を、江岸の前線に廻送のことあり、すなはち某(それがし)を以てその奉行となす。天なる哉(かな)、この冥護、絶好の機逸すべからず。万計すでに備はれり。かね/゛\御諜報いたしおきたる通り、今夜二更の頃、それがし、江南の武将の首をとり、併せて、数々の軍需の品、粮米を満載して、貴陣へ投降すべし。
降参船にはこと/゛\く檣頭(セウトウ)に青龍の牙旗を立つ。ねがはくば丞相の配下をして、誤認なからしめ給はんことを。
建安十二年(ママ)冬十一月二十一日
「いかゞいたしたかと案じてゐたが、さすが老巧な黄蓋である。よい機会を摑んだ。折ふしこの風向き、呉陣を脱して来るのも易からう。各々抜かりあるな」
と、曹操は大いに歓んで、各部の大将に旨を伝へ、自身もまた多くの旗下と共に水寨へ臨んで、その中にある旗艦に坐乗してゐた。
この日、落日は鉛色(にびいろ)の雲にさへぎられ、暮るゝに及んで、風はいよ/\烈しく、江上一帯は波高く、千億の黄龍が躍るかとあやしまれた。
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さるほどに、宵は迫り、呉の陣営にも、たゞならないものがあつた。
すでに、黄蓋や甘寧も、陣地を立ち、あとの留守には、蔡和がひとり残つてゐた。
突然、一隊の兵が来て、
「周都督のお召である。すぐ来い」
有無を云はせず、彼を囲んで、捕縛してしまつた。
蔡和は、仰天して、
「それがしに何の罪やある!」
と、叫んだが、
「仔細は知らん。云ひ開きは、都督の前でいたせ」
と、兵は仮借なく引つ立てた。
周瑜は、待つてゐた。
彼を見るやいな、
「汝は、曹操の間諜であらう。出陣の血まつりに、軍神(いくさがみ)へ供へるには、ちやうどよい首と、今日まで汝の胴に持たせておゐたが、もう好からう。いざ祭らん」と、剣を抜き払つた。
蔡和は、哀号して、甘寧や闞沢も自分と同腹なのに、自分だけを斬るのはひどいと喚いたが、周瑜は笑つて、
「それはみな、自分がさせた謀略(はかりごと)である」
と、耳もかさず、一閃の下に屠(ほふ)つた。
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