第一回 → 黄巾賊(一)
前回はこちら → 秋風陣(二)
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その日は、天候もよくなかつたに違ひないが、戦場の地勢も殊(こと)に悪かつた。寄手に取つては、甚だしく不利な地の利に嫌でも置かれるやうに、そこの高地は自然にできてゐた。
峨々(ガヾ)たる山が、道の両わきに、鉄門のように聳えてゐる。そこを突破すれば、高地の沢から、山地一帯の敵へ肉薄できるのだが、そこ迄(まで)が、近づけないのだつた。
「鉄門峡まで行かぬうちに、いつも味方はみなごろしになる。豪傑どうか無謀は止(や)めて、引つ返し給へ」
と、朱雋の軍隊の者は、部将からして、怯(ひる)み上がつて云ふ程だから、兵卒が皆、恐怖して自由に動かないのも無理ではなかつた。
だが、張飛は、
「それは、いつもの寄手が弱いからだ。けふは、われわれの義軍が先に立つて進路を斬りひらく、武夫(ブフ)たる者は、戦場で死ぬのは、本望ではないか。死ねや、死ねや」
と、督戦に声を嗄(から)した。
先鋒は、ゆるい砂礫(シヤレキ)の丘を這つて、もう鉄門峡のまぢか迄(まで)、攻め上つてゐた。朱雋軍も、張飛の蛇矛に斬り捨てられるよりはと、その後から、芋虫の群れが動くやうに這ひ上がつた。
すると、忽(たちま)ち、一陣の風雷、天地を震動して木も砂礫も人も、中天へ吹きあげられるかと覚えた時、一方の山峡の頂きに、陣鼓を鳴らし、銅鑼を打ち轟かせ、
——わあつ。わあつ。
と、烈風も圧するような鬨(とき)の声がきこえた。寄手は皆、地へ伏し、眼をふさぎ、耳を忘れてゐたが、その声に振り仰ぐと、山峡の絶巓(ゼツテン)はいくらか平盤な地になつてゐるとみえて、そこに賊の一群が見え「地公将軍」と書いた旗や、八卦の文(モン)を印(しるし)した黄色の幟(のぼり)、幡(はた)など立て並べて、
「死神につかれた軍が、又も黄泉(よみぢ)へ急いで来つるぞ。冥途の扉(と)を開けてやれ」
と、声を合せて笑つた。
その中に一人、遠目にもわかる異相の巨漢があつた。口に魔符を嚙み、髪をさばき、印をむすんで何やら呪文を唱へてゐる容子だつたが、それと共に烈風は益々(ます[ます])募つて、晦冥な天地に、人の形や魔の形をした赤、青、黄などの紙片がまるで五彩の火のやうに降つて来た。
「やあ、魔軍が来た」
「賊将張宝が、呪(ジユ)を唱へて、天空から羅刹の援軍を呼び出したぞ」
朱雋の兵は、わめき合ふと、逃げ惑つて、途(みち)も失ひ、たゞ右往左往うろたへるのみだつた。
張飛の督戦も、もう効かなかつた。朱雋の兵が餘り恐れるので、義軍の兵にも恐怖症が伝染(うつ)つたやうである。そして風魔と砂礫にぶつけられて、全軍、進む事も退く事もできなくなつてしまつた時、赤い紙片(かみきれ)や青い紙片の魔物や武者は、それ皆が、生ける夜叉か羅刹の軍のやうに見えて、寄手は完全に闘志を失つてしまつた。
事実。
さうしてゐる間に、無数の矢や岩石や火器は、うなりを揚げ、煙をふいて、寄手の上に降つて来たのである。またゝくうちに、全軍の半分以上は、動かないものになつてゐた。
「敗れた!負けたつ」
玄徳は、軍を率ゐてから初めて惨たる敗戦の味を今知つた。
さう叫ぶと
「関羽つ。張飛つ。はや兵を退けつ——兵を退けつ」
そして自分も驀(まつしぐ)らに、駒首を逆落しに向け回(かへ)し、砂礫と共に山裾へ馳け下つた。
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次回 → 秋風陣(四)(2023年11月18日(土)18時配信)