吉川英治『三国志(新聞連載版)』(709)降参船(かうさんぶね)(二)
昭和17年(1942)1月13日(火)付掲載(1月12日(月)配達)
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その夕。
呉主孫権の本軍は、旗下の勢とともに、すでに黄州の境をこえて、前進してゐた。
兵符をうけて、その発向を知つた周瑜は、すぐ一軍を派して、南屏山(ナンペイザン)のいたゞきに大旗をさしあげ、まづ先手の大将陸遜を迎へ、続いて孫権の許へも、
「いまはたゞ夜を待つばかりにて候ふ」
と、報じた。
かくて、刻々と、暮色は濃くなり、長江の波音もたゞならず、暖風(ダンプウ)頻(しき)りに北へ吹いて、飛雲団々、天地は不気味な形相(ゲウサウ)を呈してゐた。
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こゝに夏口の玄徳は、以来、孔明の帰るのを、一日千秋の思ひで待ちわびてゐたところ、きのふから季節外れな東南風(たつみかぜ)が吹き出したので、かねて孔明が云ひのこして行つたことばを思ひ出し、遽(にはか)に、趙雲子龍をやつて、
「孔明を迎へて来い」
と、ゆうべその船を立たせ、今朝も望楼にあがつて、今か/\と江を眺めてゐた。
すると、一艘の小舟が、鱖魚(ケツギヨ)のごとく溯(さかのぼ)つて来た。
近づいて見ると、孔明にはあらで、江夏の劉琦である。
楼上に迎へて、
「何の触もなく、どうして急に参られたか」
と、問ふと、劉琦は、
「昨夜来、物見の者共が、下流から続々帰つて来て告げることには、呉の兵船、陸兵など、東南(たつみ)の風が吹くと共に、物々しく色めき立ち、この風のやまぬうちに、必ず一会戦あらんといふ事でございます。皇叔のお手許にはまだ何等の情報も集まつてまゐりませんか」
「いや、夜来頻々、急を告げる報は来てゐるが、いかんせん、呉へ参つてゐる軍師諸葛亮の帰らぬうちは……」
と、語り合つてゐる折へ、番将の一人が、馳け上つて来て、
「たゞ今、樊口(ハンコウ)の方から、一艘の小舟が、帆を張つてこれへ参る様子。舳(へさき)にひるがへるは、趙子龍の小旗らしく見えまする」
と、大声で告げた。
「さては、帰りつるか」
と、玄徳は劉琦と共に、急いで楼を降(くだ)り、埠桟(フサン)に佇(たゝず)んで待ちかまへてゐた。
果して、孔明を乗せた趙雲の舟であつた。
玄徳のよろこび方はいふまでもない。互ひに無事を祝し、袂(たもと)をつらねて、夏口城の一閣に登つた。
そして、呉魏両軍の模様を質(たゞ)すと、孔明は、
「事すでに急です。一別以来のおはなしも、いまは審(つまびら)かに申しあげてゐる遑(いとま)もありません。君には、味方の者の用意万端、抜かりなく調へておいでになられますか」
「もとより、出動とあらば、いつでも打立てるやうに、水陸の諸軍勢を揃へて、軍師の帰りを待つこと久しいのぢや」
「然らば、直に、部署をさだめ、要地へ向け、指令を下さねばなりません。君に御異議がなければ、孔明はそれから先に済ましたいと思ひます」
「指揮すべて、軍師の権と謀(はかり)を以て、即刻にするがいゝ」
「僭越(センヱツ)、おゆるし下さい」
と、孔明は、壇に起(た)つて、まづ趙雲を呼び、
「御身(おんみ)は、手勢二千をひきつれ、江を渡つて、烏林の小路に深くかくれ、こよひ四更の頃、曹操が逃げ走つて来たなら、前駆の人数はやりすごし、その半(なかば)を中断して、存分に討ち敗れ。——さは云へ、残らず討ちとめんとしてはならん。また、逃げるは追ふな。頃あひ計つて、火を放ち、飽(あく)まで敵の中核に粉砕を下せ」
と、命じた。
趙雲は、畏(かしこ)まつて、退(さが)りかけたが、また踵(きびす)を回(かへ)して、かう質問した。
「烏林には、二すぢの道があります。一条は南郡(ナングン)に通じ、一条は荊州へ岐(わか)れてゐる。曹操は、そのいづれへ走るでしようか」
「かならず、荊州へ向ひ、転じて許都へ帰らうとするだらう。そのつもりでをれば間違ひはない」
孔明はまるで掌(て)の上をさすやうに云つた。そして、次には張飛を呼んだ。
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