吉川英治『三国志(新聞連載版)』(707)南風北春(一)
昭和17年(1942)1月10日(土)付掲載(1月9日(金)配達)
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「逃(に)がしては!」
と、徐盛は、水夫(かこ)や帆綱の番を励まして、
「追ひつけ。孔明の舟をやるな」
と、舷(ふなべり)を叩いて励ました。
先へ舟を早めてゐた孔明は、ふたゝび後から追ひついて来る呉の船を見た。孔明は、笑つてゐたが、彼と船中に対坐してゐた一人の大将が、やをら起(た)つて、
「執念ぶかい奴かな。いで、一睨みに」
と、身を現はして、舷(ふなべり)端(ばた)に突つ立ち、徐盛の舟へ向つて呼ばはつた。
「眼あらば見よ、耳あらば聞け。われは常山の子龍趙雲である。劉皇叔のおいひつけをうけて、今日、江辺に舟をつないで待ち、わが軍の軍師をお迎へして夏口に帰るに、汝ら、呉の武将が、何の理由あつて阻(はゞ)むか。みだりに追ひ来つて、わが軍師に、何を働かんとゐたすか」
すると、徐盛も、舳(みよし)に立ち上つて
「いや/\、何も諸葛亮を害さん為ではない。周都督のお旨をうけ、いさゝか亮先生に告ぐる儀あり。しばらく待ち給へといふに、なぜ待てぬか」
「笑止々々。その物々しい武者共を乗せて、害意なしなどゝは子どもだましの噓言である。汝らこれが見えぬか」
と、趙子龍は、手にたづさへてゐる強弓に矢をつがえて示しながら
「この一(イツ)矢(シ)を以て、汝を射殺するはいと易いが、わが夏口の勢と呉とは、決して、対曹操のごときものではない。故に、両国の好誼(よしみ)を傷けんことを怖れて、敢て、最前から放たずにゐるのだ。——この上、要らざる舌の根をうごかし、みだりに追ひかけて来ぬがよいぞ」
と、大音を収めたかと思ふと、途端に、弓をぎり/\とひき絞つて、徐盛の方へ、びゆつと放つた。
「——呀(あ)つ」
と、徐盛も首をすくめたが、元元その首を狙つて放つた矢ではない。矢は、彼のうへを通り越して、うしろに張つてある帆の親綱を〔ぷつん〕と射(い)断(き)つた。
帆は大きく、横になつて、水中に浸(ひた)つた。そのため、船はぐるぐると江上に廻り、立ち騒ぐ兵をのせたまゝ危(あやふ)く顚覆(テンプク)しさうに見えた。
趙雲は、から/\と笑つて、弓を捨て、何事もなかつたやうな顔して、ふたゝび孔明と対(むか)ひ合つて話してゐた。
水びたしの帆を張つて、徐盛がふたゝび追ひかけようとした時は、もう遠い煙波の彼方に、孔明の舟は、一(イツ)鳥(テウ)のやうに霞んでゐた。
「徐盛。〔むだ〕だ。やめろ/\」
江岸から大声して、彼をなだめる者があつた。
見れば、味方の丁奉である。
丁奉は、馬にのつて、陸地を江岸づたひに急ぎ、やはり孔明の舟を追つて来たのであるが、いまの様子を陸(をか)から見てゐたものと見え
「到底、孔明の神機は、おれ達の及ぶところでない。おまけに、あの迎への舟には、趙雲が乗つてゐるではないか。常山の趙子龍といへば、万夫不当の勇将だ。長坂坡以来、彼の勇名は音に聞えてゐる。この少い追手の人数をもつて、追ひついたところで、犬死するだけのこと。いかに都督の命令でも、犬死しては何もならん。帰らう、帰らう、引つ返さう」
手合図して、駒をめぐらし、〔とこ〕/\と岸をあとへ帰つて行く。
徐盛もぜひなく、船を回(かへ)した。そして事の仔細を、周瑜へ報告すると、
「また孔明に出し抜かれたか」
と、彼は急に、臍(ほぞ)を嚙むやうに罵つた。
「これだから自分は、彼に油断をしなかつたのだ。彼は決して、呉のために呉の陣地へ来てゐたのではない。——噫(あゝ)、やはり何としてでも殺しておけばよかつた。彼の生きてゐるうちは、夜も安らかに寝られん」
一度は、深く孔明に心服した彼も、その心服の度がこえると、忽ち、将来の恐怖に変つた。いつその事、玄徳を先に討ち、孔明を殺してから、曹操と戦はん乎(か)。——などゝ云ひ出したが、
「小事に囚(とら)はれて、大事を棄つる理がありませうか。しかも眼前に、あらゆる計画はもう出来てゐるのに」
と、魯粛に諫められて、迂愚ではない彼なので、忽ち、
「それは大きにさうだ!」
と、曹操との大決戦に臨むべく、即刻、手分けを急ぎ出した。***************************************
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