吉川英治『三国志(新聞連載版)』(706)孔明・風を祈る(四)
昭和17年(1942)1月9日(金)付掲載(1月8日(木)配達)
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「やつ?風もやうだが」
「吹いて来た」
周瑜も魯粛も、思はず叫んで、轅門(ヱンモン)の外に出た。
見まはせば、立て並べてある諸陣の千旗万旗は、こと/゛\く西北(いぬゐ)の方へ向つて飜(ひるがへ)つてゐる。
「オヽ、東南風(たつみかぜ)だ」
「——東南風(たつみかぜ)」
待ちまうけてゐたことながら二人は啞然としてしまつた。
突然、周瑜は身ぶるひして、
「孔明とは、抑(そも)、人か魔か。天地造化の変を奪ひ、鬼神不測の不思議を為す。かゝる者を生かしておけば、かならず国に害を為し、人民のうちに禍乱を起さん。かの黄巾の乱や諸地方の邪教の害に照らし見るもあきらかである。如(し)かず、いまのうちに!」
と、叫んで、急に丁奉、徐盛の二将をよび、これに水陸の兵五百をさづけて、南屏山へ急がせた。
魯粛は、いぶかつて、
「都督、今のは何です?」
「あとで話す」
「まさか孔明を殺しにやつたのではありますまいね。この大戦機を前にして」
「………」
周瑜は答へもなく、口をつぐんだ。その面を魯粛は「度(ド)し難き大将」と蔑むやうに睨みつけてゐた。その爛(ラン)たる白眼(ハクガン)にも刻々と生暖かい風はつよく吹き募つてくる。
陸路、水路、ふた手に分れて南屏山へ迫つた五百の討手のうち、丁奉の兵三百が、真つ先に山へ登つて行つた。
七星壇を仰ぐと、祭具、旗など捧げたものは、方位の位置に、木像の如く立ちならんでゐたが、孔明のすがたはない。
「孔明はいづこにありや」
と、丁奉は高声(たかごゑ)にたづねた。
ひとりが答へた。
「油幕(ユマク)のうちにお休み中です」
と、云ふ。
ところへ、徐盛の舟手勢も来て、ともに油幕を払つてみたが、
「——居らんぞ」
「はてな?」
雲をつかむやうに、捜しまはつた。
不意に討手の一人が、
「逃げたのだ!」
と、絶叫した。
徐盛は足ずりして、
「しまつた。まだ、よも遠くへは落ちのびまい。者共、追ひついて、孔明の首をぶち落せ」
と、喚(わめ)いた。
丁奉も、おくれじと、鞭打つて馬を早めた。麓まで来て、一水の岸辺にかゝると、ひとりの男に会つた。かくかくの者は通らなかつたかと質(たゞ)すと、男の云ふには、
「髪をさばき、白き行衣(ギヤウエ)を着た人なら、この一水から小舟を拾つて本流へ出、そこに待つてゐた一艘の親船に乗つて、霞(かすみ)のごとく、北のはうへ消えました」
徐盛、丁奉はいよ/\あわてゝ
「それだ。逃がすな」
と、相励ましながら、更に、長江の岸まで駈けた。
満々と帆を張つた数艘が、白波を蹴つて上流へ追つた。
そして忽ち先へ行く怪しい一艘を認めることができた。
「待ち給へ、待ち給へ。それへ急がるゝ舟中の人は、諸葛先生ではないか。——周都督より一大事のお言(こと)伝(づ)けあつて、お後を追つて参つた者。使の旨を聞きたまへ」
と、手をあげて呶鳴つた。
すると果して、孔明の白衣(ビヤクエ)のすがたが、先にゆく帆の船尾に立つた。そして呵々(カヽ)と笑ひながら此方(こなた)へ答へた。
「よう参られたり、お使、御苦労である。周都督のお旨は承はらずとも分つてをる。それよりもすぐ立帰つて、東南(たつみ)の風もかく吹けり、はや敵へ攻めかゝらずやと、お伝へあれ。——それがしは暫く夏口に帰る。他日、好縁もあらば又お目にかゝらん」
声——終るや否、白衣(ビヤクエ)の影は船底にかくれ、飛沫(しぶき)は船も帆もつゝんで、見る/\うちに遠くなつてしまつた。
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