吉川英治『三国志(新聞連載版)』(696)竹冠の友(一)
昭和16年(1941)12月24日(水)付掲載(12月23日(火)配達)
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こゝが大事だ!と龐統はひそかに警戒した。まんまと詐(いつは)り了(を)はせたと心をゆるしてゐると、案外、曹操はなほ——間ぎわにゐたる迄(まで)、こつちの肚(はら)を探らうとしてゐるかも知れない——と気づいたからである。
で、彼は、曹操が、
(成功の上は、貴下を三公に封(フウ)ずべし)といふのを、言下に、顔を横に振つて見せながら、
「思(おぼし)召(めし)はありがたうござゐますが、私はかゝる務めを、目前の利益や未来の栄達のためにするのではありません。たゞ民の苦患をすくはんが為です。どうか丞相が呉軍を破つて、呉へ攻め入り給ふとも、無辜(ムコ)の民だけは殺さないやうにお計らひ下さい。そればかりが望みです」
と、ことばに力をこめて云つた。
曹操も、その清廉を信じて、彼の憂(うれひ)をなぐさめ顔に云つた。
「呉の権力は討つても、呉の民は、すぐ翌日(あした)から曹操にとつても愛すべき民となるものだ。何でみだりに殺戮するものか。その事は安心するがいゝ」
「天に代つて道を布(し)き、四民を安んじ給ふを常に旨(むね)とされてゐる丞相のこと。丞相のお心は疑ひませんが、何といつても、大軍が目ざす敵国へなだれ入るときは、騎虎の勢、夥(おびたゞ)しい庶民が災害に会つてゐます。いま仰せをうけて江南に帰るに際し、何か丞相のお墨付でも拝領できれば、小家の一族も安心して居られますが」
「先生の一族はいま何処(いづこ)に居住してゐるのか」
「荊州を追はれ、ぜひなく呉の僻地にをります。もし丞相から一礼を下し置かれゝば、兵の狼藉をまぬかれ得ませう」
「いと易いこと」
と、曹操はすぐ筆をとつて、当手の軍勢共、呉へ入るとも、龐統一家には、乱暴すべからず、違背の者は斬に処す——と誌(しる)し、大きな丞相印を捺(お)して与へた。
龐統は心のうちで、彼がこれまでの事をする以上は、彼もまつたく自分の言にすつかり乗つたものと思つてもいゝなと思つた。しかしその北(ほく)叟(そ)笑(ゑ)みをかくして、飽(あく)までさあらぬ態(テイ)をまもり
「では行つて来ます」
と、恩を謝して別れた。
「周瑜に気どられるなよ」
と、幾たびも念を押しながら、曹操は自身で営門まで見送つて来た。龐統は別れを惜むかの如く、幾たびも振返りながら、やがて外陣の柵門をすぎ、江岸へ出て、そこにある小舟へ乗らうとした。
するとさつきから岸の辺(ほとり)に待ちうけてゐたらしい男が、この時、つと楊柳の陰から走り出して、
「曲者(くせもの)、待て」
と、うしろから抱きついた。
龐統は、ぎよつとして、両の脚を踏んばりながら振向いた。
その者は、身に道服を着、頭に竹の冠をいたゞいてゐる。そして怖しい剛力だつた。いかに身をもがいてみても、組みついた腕は、びくともしないのであつた。
「曹丞相の客として、これに迎へられ、いま帰らんとする此(この)方(ハウ)にたいして、曲者とは何事だ。狂人か、汝は!」
叱りつけると、男は、満身から声をふりしぼつて、
「白々しい勿体(モツタイ)顔(がほ)。その顔、その辯で、丞相はあざむき得たかも知れんが、拙者の眼はだまされぬぞ。——呉の黄蓋と周瑜がたくみに仕組んだ計画のもとに、先には苦肉の計(はかり)をなして、闞沢を漁夫に窶(やつ)して送り、また蔡仲、蔡和などに書面を送らせ、いま又、汝、呉のために来て、大胆不敵にも丞相にまみえ、連環の計をさゝやいたるは、後日の戦ひに、わが北軍の兵船をこと/゛\く焼き払はんといふ肚に相違ない。——何でこのまま、江南に放してよいものか。さあもう一度中軍へ戻れ」
噫(あゝ)、百年目。
大事はこゝに破れたかと、龐統はたましひを天外に飛ばしてしまつた。
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次回 → 竹冠の友(二)(2025年12月24日(水)18時配信)

