吉川英治『三国志(新聞連載版)』(693)鳳雛・巣を出(い)づ(三)
昭和16年(1941)12月20日(土)付掲載(12月19日(金)配達)
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蔣幹は、日々煩悶して、寝食もよく摂(と)れなかつたが、或る夜、番兵に隙があつたので、ふら/\と小舎から脱け出した。
「逃げたいものだが?」
山中の闇を彷徨(さまよ)ひながら、しきりと苦慮してみたが、麓へ降りれば、すべて呉の陣に満ちてゐるし、仰げば峨々たる西山(セイザン)の嶮峰(ケンポウ)のみである。折角、小舎は出て来たものゝ
「どうしたものぞ」
と、悄然、行き暮れてゐた。
すると彼方の林の中にチラと燈火(ともしび)が見えた。近づいてみると、家があるらしい。林間の細道をなほ進んでゆくと、朗々読書の声がする。
「はて?……こんな山中に」
柴の戸を排(お)して、庵の中を窺つてみるに、まだ三十前後の一処士、たゞひとり浄几(ジヨウキ)の前に、燈火をかかげ、剣をかたはらに懸けて、兵書に眼を曝(さら)してゐる様子である。
「……あ。襄陽の鳳雛、龐統らしいが」
思はず呟いてゐると、気配に耳をすましながら庵の中から、
「誰(たれ)だ」
と、その人物が咎めた。
蔣幹は、駈け寄るなり、廂下(シヤウカ)に拝をして、
「先日、群英の会で、よそながら御姿を拝してゐました。大人(タイジン)は鳳雛先生ではありませんか」
「や。さう云はるゝなら、貴公はあの折の蔣幹か」
「さうです」
「あれ以来、まだ、呉の陣中に、滞留してをられたか」
「いや/\それ所ではありません。一度帰つて又来た為に、周都督からとんだ嫌疑をかけられて」
と、山小屋に監禁された始末を物語ると、龐統は笑つて、
「その程度でおすみなら万々僥倖ではないか。拙者が周瑜なら、決して、生かしてはおかない」
「えつ……」
「はゝゝ。冗談だ。まあお上りなさい」——と、龐統は席を頒(わ)けて燭を剪(き)つた。
だん/\話しこんでみると、龐統はなか/\大志を抱いてゐる。その人物はかねて世上に定評のあるものだし、今、この境遇を見れば、呉から扶持されてゐる様子もないので、蔣幹はそつと捜(さぐ)りを入れてみた。
「あなた程の才略をもちながら、どうしてこんな山中に身を屈してゐるんですか。こゝは呉の勢力下ですのに、呉に仕へてゐる御様子もなし……。おそらく、魏の曹丞相のやうな、士を愛する名君が知つたら、決して捨てゝは措かないでせうに」
「曹操が士を愛する大将であるといふことは、夙(つと)に聞いてをるが——」
「なぜ、それでは、呉を去つて、曹操のところへ行かないので?」
「でも、何分、危険だからな。——かりそめにも、呉にゐた者とあれば、いかに士を愛する曹操でも、無条件には用ひまい」
「そんな事はありません」
「どうして」
「かくいふ蔣幹が、御案内申してゆけば」
「何。貴公が」
「されば、私は、曹操の命をうけて、周瑜に降伏をすゝめに来たものです」
「ではやはり魏の廻し者か」
「廻し者ではありません。説客として参つたものです」
「同じことだ。…が偶然、わしが先に云つた冗談は中(あた)つてゐたな」
「ですから、恟(ぎよ)つとしました」
「いや、それがしは何も、呉から祿も恩爵もうけてゐる者ではない。安心なさるがいゝ」
「どうですか、こゝを去つて、魏へ奔(はし)りませんか」
「勃々と、志は燃えるが」
「曹丞相へのおとりなしは、かならず蔣幹が保證します。曹操にも活眼(クワツガン)ありです、何で先生を疑ひませう」
「では、行くか」
「御決意がつけば、こよひにも」
「もとより早いがいゝ」
二人は、完全に、一致した。その夜のうち、庵(いほり)を捨て、龐統は彼と共に、呉を脱した。
道は、蔣幹よりも、こゝに住んでゐる龐統の方が詳しい。谷間づたひに、樵夫(そま)道(みち)をさがして、やがて大江の岸辺へ出た。
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次回 → 鳳雛・巣を出づ(四)(2025年12月20日(土)18時配信)

