吉川英治『三国志(新聞連載版)』(687)一竿翁(いつかんをう)(二)
昭和16年(1941)12月13日(土)付掲載(12月12日(金)配達)
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軍庁の一閣に、侍臣は燭をとぼし、曹操は寝房を出て、この深夜といふに、もの/\しく待ちかまへてゐた。
(呉の参謀官闞沢が、一漁翁に身をやつし、何ごとか曹丞相に謁して、直言申しあげたいとの事——)
と、耳驚かす報らせが、たつた今、曹操の夢を醒ましたのであつた。
これに依つてみると、水寨の番兵に捕まつた漁翁は、魏の陣中へ引かれてくるとすぐ
(自分こそは、呉の参謀闞沢である)と、自ら名乗つたものとみえる。
……程なく。
曹操の面前には、みすぼらしい一竿翁が、部将たちに取(とり)囲まれて引かれて来た。——が、さすがに一〔かど〕の者、端然と、階下に坐をとり、すこしも周囲の威圧に動じるふうも見えなかつた。
曹操も厳かに曰(い)ふ。
「汝は、敵国の参謀官とか聞いたが、何を血迷うて、予の陣営へ来たか」
「……」
黙然と、見つめてゐたが、やがて闞沢は、ふゝゝゝと、唇(くち)を抑へて失笑した。
「見ると聞くとは大きな違ひ。曹丞相は、賢(ケン)を愛し、人材を求むること、旱(ひでり)に雲霓(ウンゲイ)を望むごとしと、世評には聞いてゐたが……。いやはや……これでは覚(おぼ)束(つか)ない。——あゝ黄蓋も人を知らずぢや!こんな似非(えせ)英雄に渇仰(カツギヤウ)して、とんでもない事をしてしまつたものだ」
独り嘆じるが如く、嘯(うそぶ)いた。
曹操は、眉をひそめた。——変なことを云ふ漢(をとこ)かなと怪訝(いぶか)つたのであらう。急に怒る色もなく、
「敵国の参謀たるものが、単身、しかも漁翁に身を変へて、これへ来る以上、その真意を糺(たゞ)すは、当然であらう。なぜ、それに就(つい)て、確(しか)と答へぬか」
「さればよ!丞相。これに来る以上、それがしとても、命がけでなくては能(かな)はぬ。然るに、血迷うて何しに来たかなどゝ、決死の者に対して、揶揄するやうな言を弄さるゝ故、思ひつめて来た張合ひも抜け、思はず思ふまゝ嘆息したのぢや」
「呉を滅(ほろぼ)さんは、わが畢生(ヒツセイ)の希(ねが)ひである。その目的に添ふことならば、あらためて非礼を謝し、謹んで汝の言を聞かう」
「丞相にとつては天来の好事である。敬うて聞かれよ。——呉の黄蓋、字(あざな)は公覆(コウフク)、すなはち三江の陣にあつて、先鋒の大将をかね呉軍の軍粮総司たり。この人、三代があひだ呉に仕へ、忠節の功臣たること、世みな知る。——然るを、つい数日前、寸言、周都督に逆らへりとて、諸大将のまつたゞ中にていたく面罵せられたるのみか、すでに老齢の身に、百打の刑杖を加へられ、皮肉裂け、血にまみれ、気は喪(うしな)ふにゐたる。諸人、面(おもて)を反(そ)むけ、ひそかに都督の酷薄をうらまぬはない。それがしは、黄蓋と古くより親交あり、日頃、兄弟の交りをなせるものから、蓋老、病床に苦吟しつゝ、ひそかに一書を認(したゝ)め、それがしに託して、丞相に気脈を寄せらる。——もとより骨髄に徹する恨みを、はらさんが為でござる。幸にも、黄蓋は武具兵粮を司(つかさ)どる役目にあれば、丞相だに、諾(ダク)!と御一言あれば、不日、呉陣を脱して、呉の兵糧武具など、及ぶかぎり舷に積載してお味方へ投じるでござらう」
眼をみひらき、耳を欹(た)てゝ、曹操は始終を聞き入つてゐたが、
「ふーむ。……して、黄蓋の書面なるものを、それへ持参したか」
「肌に秘して、持ち参りました」
「ともあれ、一見しよう」
「……いざ」
と、闞沢は、侍臣の手を通して、書面を曹操の卓へ提出した。
曹操は、几(つくゑ)の上に披(ひら)いて、十遍あまり読み返してゐたが、どんと拳(こぶし)で案(アン)を叩きながら、
「浅慮(あさはか)々々。これしきの苦肉の計に、いかでこの曹操が詐(いつは)られようか。明白なる謀略だ。——それつ、部将(ブシヤウ)輩(ばら)、その船虫みたいな穢(むさ)い老爺(をやぢ)を、営外へ曳き出して斬つてしまへ」
云ひすてるや否、黄蓋の書状は、その手に引き裂かれてゐた。
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