吉川英治『三国志(新聞連載版)』(686)一竿翁(いつかんをう)(一)
昭和16年(1941)12月12日(金)付掲載(12月11日(木)配達)
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こゝ四、五日といふもの黄蓋は陣中の臥床(ふしど)に横たはつたまゝ粥をすゝつて、日夜呻いてゐた。
「まつたくお気の毒な目にあはれたものだ」
と、入り代り立かはり諸将は彼の枕頭を見舞ひに来た。
或る者は共に悲しみ、或る者は共に傷み、また或る者はひそかに周瑜の無情に対して共に恨みをもらした。
日ごろ親しい参謀官の闞沢(カンタク)も見舞ひに来たが、彼のすがたを見ると、暗涙をたゝへた。黄蓋は、枕頭の人々を退けて、
「よく来てくれた。誰(たれ)が来てくれたより欣(うれ)しい」
と、無理に身を起して云つた。
闞沢は、傷ましげに
「将軍は曽(かつ)て、何か、周都督から怨まれてゐることでもあつたのか」
と、訊ねた。
黄蓋は顔を振つて、
「何もない……。旧怨などは何もない」
「それにしては、餘りに今度の事は理に合はない御(ご)折檻(セツカン)ではありませんか。傍目(はため)にも疑はれるほど……実に苛烈すぎる」
「いや、御辺のほかには、真実を語るものはない。それ故に、見えられるのを心待ちにしてゐたのだ」
「将軍。察するところ、過日、衆人の中であの責(せめ)苦(ク)をうけられたのは、何か苦肉の計ではないのですか」
「叱(し)ツ。……静(しづか)にされよ。……して、それをば、如何(いかゞ)にして察しられたか」
「周都督の形相といひ、あの苛烈極まる責め方といひ、餘りに度を過ぎたりと思ふにつけ……日頃のあなたと都督の交(まじは)りをも想ひ合せて、実は九分までは察してゐました」
「あゝ、さすがは闞沢。よく観られた。正にその通りにちがひない。不肖、呉に仕へて、三代の御恩をうけ、いまこの老骨を捧げても、少しも惜しむところはない。……故に、自らすゝんで一計を立て、まづ味方を欺(あざむ)かんが為にわざと百打の笞(しもと)をうけたものぢや。この苦痛も呉国のためと思へば何でもない」
「さてはやはりさうでしたか。……が、それまで思ひ込まれた秘策をひとりこの闞沢にのみお打明け下すつたのは、この闞沢をして将軍の懐(ふところ)刀(がたな)とし、それがしに曹操へ使する大役を仰せつけたいお心ではありませんか」
「さうだ。まことに、御辺の察する通り、御辺を措(お)いて、誰(たれ)にこの大事を打明け、更に、大事の使を頼めようか」
「よくこそ、お打明け下さいました。私を知つて下さるものです」
「では、行つてくれるか?」
「大丈夫、ひとたび、信をうけて、なんで己れを知る人に反(そむ)けませうぞ。世に出て君に仕へ、剣を佩(は)いて風雲に臨みながら、一功も立てずに朽ちるくらゐなら、生きてゐても生きがひはありません。まして老将軍すら、一命を投げ出して、計事(はかりごと)にかゝつてをられるのに、どうして小生等が、微生を惜しみませう」
「ありがたい……」
黄蓋は彼の掌(て)をとつて、じぶんの額(ひたひ)にあてながら、涙をながした。
「事、延引しては、機を誤るおそれがある。将軍、さう極(きま)つたら、直(たゞち)に、曹操へ宛てゝ一書をおかきなさい。それがしが、如何(いか)にもしてそれを携へて参りますれば」
「おゝ、その書簡はすでに人知れず認(したゝ)めて、これに隠してある」
枕の下から厚く封じた一通を手渡した。闞沢はそれを受取ると、さりげなく暇(いとま)を告げ夜に入ると、いつか呉の陣中からすがたを消してゐた。
それから幾夜の後とも知れず、魏の曹操が水寨(スヰサイ)の辺(ほと)りで独り釣(つり)を垂れてゐる漁翁(ギヨヲウ)があつた。
悠々千里の流れに漁(すなど)りして、江岸(カウガン)に住んでゐる漁夫や住民は、もう連年の戦争にも馴れてゐて、戦ひのない日には、閑々として網を打ち、鈎を垂れてゐるなど、決してめづらしい姿ではなかつた。
——だがこの所、ひどく神経の鋭くなつてゐる曹軍の見張は、餘りに漁翁が水寨に近づいて釣(つり)してゐるので、
「怪しい老(おい)ぼれ?」と見たか、忽ち軽舸(はやぶね)を飛ばして来て、有無を云はさず搦(から)め捕りそのまま陸へ引ツ立てて行つた。
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