吉川英治『三国志(新聞連載版)』(685)風を呼ぶ杖(四)
昭和16年(1941)12月11日(木)付掲載(12月10日(水)配達)
ターミナルページはこちら(外部サービス「note」にリンク)
前回はこちら → 風を呼ぶ杖(三)
***************************************
「打て、打てつ、仮借(カシヤク)いたすなつ。ためらふ奴は同罪に処すぞ!」
怒りに慄(ふる)へ、猛(たけ)りに猛つて、周瑜の耳は、詫び入る諸将のことばなど、まるで受けつけなかつた。
「一打!二打!三打つ」
杖を持つた獄卒は、黄蓋の左右から、打ちすゑた。黄蓋は地に俯(う)ツ伏して、五ツ六ツまでは、歯をくひしばつてゐたが、忽ち、悲鳴をあげて跳び上がつた。
そこを又、
「十つ……。十一ツ……」
杖は唸つて、この老将を打ちつづけた。血はながれて白髯に染み、肉はやぶれて骨髄も挫(くだ)けたらうと思はれた。
「九十つ。九十一つ……」
百近くなつた時は、打ちすゑる獄卒の方も、へと/\に疲れてゐた。もちろん黄蓋ははや虫の息となつて、昏絶してしまつた。周瑜もさすがに、顔面蒼白になつて、睨(ね)めつけてゐたが、唾(つば)するやうに指さして、
「思ひ知つたか!」
云ひ捨てると、その儘(まゝ)、営中へ休息に入つてしまつた。
諸将はその後で、黄蓋を抱きかゝへ、彼の陣中へ運んで行つたが、その間にも、血は流れてやまず、蘇生しては又すぐ絶え入ること幾度か知れないほどだつたので、日頃、彼と親しい者や、また呉の建国以来、治乱のあひだに苦楽を共にして来た老大将たちは、みな涙をながして傷ましがつた。
この騒ぎを後(うしろ)に、孔明はやがて黙々と、自分の船へ帰つて行つた。そして独り船の艫(とも)に居て、船欄から下を臨み、何事か沈吟に耽(ふけ)りながら、流るゝ水を見入つてゐた。
魯粛は、彼のあとを追つて来たらしく、孔明がそこに腰かけてゐると、すぐ前に現はれて話しかけた。
「どうも、けふの事ばかりは、胸が傷みました。周都督は、軍の総司令だし、黄蓋は年来の先輩。諫めやうにも、あのお怒りでは、却(かへ)つて、火に油をそゝぐやうなものですし……たゞはら/\するのみでした。……けれど、先生は他国の賓客であり、先頃から周都督も、心から尊敬を払つてをられるのですから、もし先生が、黄蓋のために取(とり)なして下さればとは、ひとり魯粛ばかりでなく、みなさう思つてゐたらしく見えました。……然るに、先生は終始黙々、手を袖にして、つひに一言のお口添へもなさらず、たゞ見物してをられた。……それには何か深いお考へでもあつたのですか」
「はゝゝゝ、それよりもお訊きしたいのは、貴公こそ、何故、この孔明を欺(あざむ)かうとはなさるゝか」
「や?これは異(イ)な仰せ。あなたを呉へお伴れして参つてから以来、それがしはまだあなたを欺いたことなど一度もないつもりですが」
「——ならば、貴公はまだ、兵法に秘裏(ヒリ)変表(ヘンペウ)の不測あることを御存じないとみえる。周瑜が今日、朱面怒髪して、黄蓋に百打の笞(むち)を刑し、憤然、陣中の内争を外に発してみせたのは、みな曹操をあざむく計(はかり)ごとである。何でそれを孔明が諫めよう」
「えつ、ではあれも計略ですか」
「明白な企(たくら)み事です。——が、粛兄。孔明がさう云つたといふことは、周都督へは、必ず黙つてゐて下さいよ。問はれても」
「……はゝあ!さては」
魯粛は、気の寒うなるのを覚えた。けれどなほ半信半疑なこゝちで、その夜、ひそかに帳中で、周瑜と語つたとき、周瑜から先にかう云ひ出したのを幸に、糺(たゞ)してみた。
「魯粛、けふの事を、陣中の味方は皆、どう沙汰してゐるね」
「滅多に見ないお怒りやうと、みな恟々(ケフ/\)(ママ)としてをりますよ」
「孔明は?……何と云つてをるかね」
「都督も、情(なさけ)ないお仕打をするといつて、哀(かなし)んでをりました」
「さうか!孔明もさう云つてゐたか」と手を打つて、
「初めて孔明をあざむくことができた。孔明がさう信じるほどなら、このたびのわが計(はかりごと)は、かならず成就しよう。いや、もう図に中(あた)れりと云つてもいゝ」
周瑜は会心の笑みをもらして、初めて魯粛に心中の秘を打明けた。
***************************************
次回 → 一竿翁(いつかんをう)(一)(2025年12月11日(木)18時配信)

