吉川英治『三国志(新聞連載版)』(681)覆面の船団(三)
昭和16年(1941)12月6日(土)付掲載(12月5日(金)配達)
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魯粛の語る始終を周瑜はさつきから頭(かうべ)を垂れて黙然と聞いてゐたが、やがて面(おもて)をあげて、
「噫(あゝ)……」
と、長大息すると、あり/\と慚愧の色をあらはして、慨然とかう云つた。
「誤てり、誤てり。ふと小我にとらはれて、ひたすら孔明の智を憎み、孔明を害さんとばかり考へてゐたが、彼の神機明察、到底、われ等の及ぶところではない」
さすがに周瑜も一方の人傑である。省みて深く自分を羞(は)ぢ、魯粛を走らせて、すぐ孔明を迎へにやつた。
やがて、孔明が見えたと聞くと彼は自ら歩を運んで、轅門(ヱンモン)の傍らに出迎へ、慇懃、師の礼をとつて上座へ請じたので、孔明はあやしんで、
「都督、今日の過分は何が故の五優遇ですか」
と、問うた。
周瑜は偽らず、
「正直に云ふ。それがしは遂にあなたの前に盔(かぶと)を脱ぎました。どうか今日までの非礼はおゆるしください。また、魯粛から承れば、敵地に入つて敵の矢を蒐(あつ)め、その十万本を見事、運んで来られた由。天来の妙計、たゞ/\驚嘆のほかはありません」
「はゝゝゝ。そんな程度の詐術小計。なんで奇妙とするに足りませうや。むしろ大器の者の恥づるところです。いや、汗顔々々」
「お世辞ではありません。古(いにしへ)の孫子呉子もおそらく三舎を避けませう。けふはお詫びのため、先生を正客にして一盞さしあげたい。魯粛とそれがしの為に、願はくば、猶(なほ)忌憚ない御腹中を聞かせ給はらぬか」
席をあらためて、酒宴に移つたが、その酒中でも、周瑜はかさねて云つた。
「実はきのふも呉君孫権から御使があつて、一日も早く曹操をやぶるべきに、空しく大兵大船を滞(とゞ)めて何をしてゐるぞとのお叱りです。とはいへまだ不肖の胸には必勝の策も得られず、確たる戦法も立つてをりません。お恥かしいが、曹操の堅陣に対し、その厖大(バウダイ)な兵力を眼のあたりにしては、まつたく手も脚も出ないといふのが事実ですから仕方がない。どうか我々の為に先生の雄策を以て、かの大敵を打破る手段もあればお教へください。かくの通り、頭を垂れておねがひします」
「なんの/\、足下(ソクカ)は江東の豪傑、碌々(ロク/\)たる鈍才孔明ごときが、お教へするなどとは思ひもよらぬ。僭越です。良策など、あらう筈もない」
「由来、先生は御謙遜にすぎる。どうかさう云はないで胸襟をおひらき下さい。——先頃、この魯粛を伴うて、暗夜、ひそかに江を溯(さかのぼ)り、北岸の敵陣を窺(うかゞ)ひみるに、水陸の聯鎖も完(まつた)く、兵船の配列、水寨の構築など、実に法度(ハツト)によく叶(かな)つてゐる。あれでは容易に近づき難い——と、以来、破陣の工夫に他念なき次第ですが、まだ確信を得ることができないのです」
「……しばらく、語るをやめ給へ」
と、制して孔明もやゝしばし黙考してゐたが、やがて、
「こゝに、たゞひとつ、行へば成るかと思ふ計がある。……が、都督の胸中も、まつたく無為無策ではありますまい」
「それは、自分にも、最後の一計が無いわけでもないが……」
「二人して各々掌(て)のうちに書いて、あなたの考へと私の考へが、違つてゐるか、同じであるか開き合つてみようではありませんか」
「それは一興ですな」
直(たゞち)に硯をとりよせると、互に筆を頒ち、掌(てのひら)に何やら書いて、
「では」
と、拳(こぶし)と拳を出し合つた。
「いざ御一緒に」
孔明はさう云ひながら掌(て)をひらいた。周瑜も共に掌(て)をひらいた。
見ると——
孔明の掌(て)にも、火の一字が書いてあつたし、周瑜の掌(て)にも、火の字が書かれてあつた。
「おゝ、割符(わりふ)を合せたやうだ」
二人は高笑してやまなかつた。魯粛も盃(さかづき)を挙げて、両雄の一致を祝した。ゆめ、人には洩らす勿(なか)れと、互ひに秘密を誓ひ合つて、その夜は別れた。
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次回 → 風を呼ぶ杖(一)(2025年12月6日(土)18時配信)

