吉川英治『三国志(新聞連載版)』(680)覆面の船団(二)
昭和16年(1941)12月5日(金)付掲載(12月4日(木)配達)
ターミナルページはこちら(外部サービス「note」にリンク)
前回はこちら → 覆面の船団(一)
***************************************
吠える波と、矢たけびに夜は明けて、濃霧の一方から紅々(あか/\)と旭日の光が映(さ)して来た頃、江上にあつた怪船団の影はもう曹操の陣営から見えなくなつてゐた。
「曹丞相よ、夜来の御好意を感謝する。贈り物の矢はもう充分である。——おさらば!」
孔明は、江を下つてゆく船上から、魏の水寨を振向いて云つた。
彼を乗せた一艘を先頭として、二十餘艘の船は、満身に矢を負つて、その矢のごとく下江してゐた。
厚い藁と布をもつて包まれた船腹船楼には、殆ど、船体が見えないほど、敵の射た矢が立つてゐた。
「計られたり!」
と、あとでは曹操も気がついたのであらう、無数の軽舸(ケイカ)をもつて追撃させたが、孔明はさつそくゆふべから無数に獲た矢をもつて射返した。しかも水は急なり、順風は帆を扶(たす)けて、忽ち、相(あい)距(へだ)つこと二十餘里、空しく魏船は、それを見送つてしまつた。
「どうです粛兄。このたくさんな矢が、数へきれますか」
孔明は、魯粛に話しかけた。——魯粛はゆふべから孔明の智謀を覚(さと)つて、今はまつたく、その神算鬼謀に、ただ/\舌を巻いて心服するのみだつた。
「到底、数へきれるものではありません。先生が三日のうちに、十万の矢を製(つく)らんと約されたのは、つまりこの事でしたか」
「さうです。工匠(たくみ)を集めて、これだけのものを製らうとすれば、十日でもむづかしいでせう。なぜならば、周都督が工人共の精励をわざと妨(さまた)げるからです。——都督の目的は、矢を獲るよりは、孔明の生命(いのち)を得んとなされてゐるのですからな」
「あ、あ。それまで御存じでしたか」
「鳥(とり)獣(けもの)すら殺手をのばせば、未然に感得して逃げるではありませんか。まして万物の霊長たるものが、至上の生命に対して、何で無感覚にをられませうや」
「真に敬服しました。それにしても、夜来の大霧を、どうして前日からお知りになつてをられたらうか。それとも偶然、ゆふべのやうな絶好な夜靄にめぐりあつたのですか」
「およそ、将たる人は、天文に通じ、地理に精(くは)しく、陣団の奇門を知らずしては、いはゆる将器とはいはれますまい。雲霧の蒸発などは、大地の気温と、雲行風速を案じ合すれば、漁夫のごとき無智な者にすら、豫測のつくことです。三日のうちと周都督へ約したのも、さうした気象の豫感が自分にあつたからなので、もう意地悪く周都督が、わざと此(この)事を、七日先や十日先に仰せ出されたら、孔明もちと困つたにちがひありません」
淡々として孔明は他人事みたいに語るのである。すこしも智に慢じるふうは見えない。
ただ今朝(コンテフ)(ママ)の雲霧を破つて、洋々と中天にのぼる旭光を満顔にうけて独り甚だ心は楽しむかのやうに見えただけである。
やがて、全船無事に、呉の北岸に帰り着いた。兵を督して、満船の矢を抜かせてみると、一船に約六、七千の矢が立つてゐた。総計十数万といふ量である。
それを一本々々検(あらた)めて、鏃(やじり)の鈍角となつたのは除き、矢柄の折れたのも取捨て、すぐ使用できる物ばかりを、一(ひと)把(たば)一把に束ねて、十万の矢は、きれいに山となつて積みあげられた。
「粛兄。お検めの上、たしかにお受取ねがひたい。お約束の日限。お約束の矢数、いつでも周都督の御陣屋まで、運び込ませますが」
孔明の言葉に、魯粛は、
「お待ち下さい。さつそく、周都督の耳へ、この由を達して来ますから」
と、彼は、あわてゝ本陣のうちへ駈けこんで行つた。
そして、周瑜に会つて、仔細の趣きを告げると、さすがの周瑜も、茫然として、孔明の神智に呆れてゐるばかりだつた。
***************************************
次回 → 覆面の船団(三)(2025年12月5日(金)18時配信)

