吉川英治『三国志(新聞連載版)』(678)陣中戯言なし(三)
昭和16年(1941)12月3日(水)付掲載(12月2日(火)配達)
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散会した後(あと)の人なき所で、魯粛(ろしゆく)はそつと周瑜へ云つた。
「どうもをかしい。孔明のけふの言葉は、肚(はら)にもない詐(いつは)りではないでせうか」
「諸人の前で、好んで不信の言を吐くはずはあるまい」
「でも、三日の間に、十万の矢が製(つく)れるわけはありません」
「餘りに自分の才覚を誇り過ぎて、ついあんな大言を吐いてしまつたのだらう。自ら生命(いのち)を呉へ送るものだ」
「思ふに、夏口へ逃げ帰るつもりではないでせうか」
「いかに生命(いのち)が惜しくても、孔明たる者が、笑ひをのこして、醜い逃げ隠れもなるまいが……然し念の為だ、孔明の船へ行つて、またそれとなく彼の気色を窺(うかゞ)つて見給へ」
夜に入つたので、魯粛は、あくる朝、早目に起(おき)出て、孔明の船を訪れた。
孔明は、外に居て、大江の水で顔を洗つてゐた——やあ、お早(はや)うと、晴々云ひながら近づき、楊柳の下の一石に腰かけて、
「きのふは、ひどい目にあひましたよ。粛(シユク)兄(ケイ)とした事が、どうもお人が悪い」
と、平常の容子よりも、至極のどかな顔つきに見える。
魯粛も、強(し)ひて明るく、
「なぜですか。それがしが人が悪いとは」
「でも、大兄は、孔明があれほど固くお口(くち)止(どめ)したのに、すぐありの儘(まゝ)、周都督へ私の意中をみな喋(しやべ)つてしまつたでせう。故に私は、周都督から油断のならぬ男と睨まれ、三日のうちに十万の矢を製るべし——と難題を命じられてしまひました。もし出来なかつたら、軍法に照らされ、必ず斬罪に処せられませう。何とかよい思案を授けて、私を助けてください」
「これは迷惑な仰せを承るもの。都督が初め十日以内にと云はれたのを、先生自ら三日のうちに為(し)て見せんと、好んで禍を求められたのではありませんか。今更、それがしにも、どうすることも出来はしませぬ」
「いや、都督へ向つて、約を解いて欲しいなどゝ、取(とり)做(な)しをおねがひする次第ではない。御辺の支配下にある士卒五、六百人ばかりと、船二十餘艘とを、しばらく孔明のためにお貸しねがひたいのだが」
「それをどうするので?」
「船ごとに、士卒三十人を乗せて、船体はすべて、青い布と、束(つか)ねた藁(わら)で蔽(おほ)ひ、この岸に揃へて下されば、三日目までに、必ず十万の矢を製りあげ、周都督の本陣まで運ばせます。——たゞし又、この事も、決して周都督には御内密にねがひたい。或(あるひ)(ママ)は、都督がお許しなきやも知れませんから」
魯粛は立帰つて、又もその通りに周瑜へ告げた。——餘りにも孔明の云ひ分が奇怪でたまらないので、いつたいどういふ肚だらうかを、周瑜の意見に訊ねてみたい気もあつたからである。
「……解らんなあ?」
周瑜も首を傾けて考へこんだきりであつた。かうなると、ふたり共、孔明が何を考へて、そんな不可思議な準備を頼むのか、やらせてみたい気がしないでもない。
「どうしませう」
「まあ、やるだけの事を、やらせて、見てゐたらどうだ。——充分、警戒は要するが」
「では、ともかく、船二十艘に望みの兵を貸してみませうか」
「むゝ。……しかし、油断するな」
「心得てゐます」
第二日目の日も過ぎて、三日目の夜となつた。それまでに、二十艘の兵船は、孔明のさしづ通り、藁と布ですつかり偽装を終り、各船に兵三十人づゝ乗りこんで、むなしく為す事もなく、江岸に繫(つな)がれてゐた。
「先生、いよ/\日限は、こよひ限りですな」
魯粛が、様子を見に来ると、孔明は待つてゐたやうに、
「さうです、こよひ一夜となりました。就(つい)ては、大儀ながら粛兄にも、一緒に来ていただけますまいか」
「どこへですか」
「江北の岸へ」
「何をしに?」
「矢狩りに参るのです。矢狩りに……」
孔明は、笑ひながら、怪訝(ケゲン)がる魯粛の手をとつて、船の内へ誘ひ入れた。
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次回 → 覆面の船団(一)(2025年12月3日(水)18時配信)

