吉川英治『三国志(新聞連載版)』(677)陣中戯言なし(二)
昭和16年(1941)12月2日(火)付掲載(12月1日(月)配達)
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【前回迄の梗概】
悠久なる長江の流れを隔てゝ、今し魏、呉の両軍は決戦寸前の態勢にある。魏の水軍を指揮してゐた蔡瑁、張允は呉の周瑜が謀略によつて首を刎ねられた。ひとり之を明察してゐたのは蜀漢の軍師にして、今は説客として呉にある諸葛孔明だつた。
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魯粛の復命を聞いて、周瑜はいよ/\孔明を怖れた。烱眼(ケイガン)明察、彼のごとき者を、呉の陣中に養つておくことは、呉の内情や軍の機密を、思ひのまゝ探つてくれと、こちらから頼んで、保護してやつてゐるやうなものである——と思つた。
と、いつて、今更。
孔明を夏口へ帰さんか、これまた後日の患(わづら)ひたるや必せりである。たとひ玄徳を呉の翼下に容れても、彼の如き大才が玄徳についてゐては、決して、いつまでそれに甘んじてゐるはずはない。
その時に到れば、孔明が今日、呉の内情を見てゐる事が、ことごとく呉の不利となつて返つて来るだらう。……如(し)かず、いかなる手段と犠牲を覚悟しても、いまのうちに孔明の息の根をとめてしまふに限る!
「……さうだ、それに限る!」
周瑜が独りして大きく呟いたので、魯粛はあやしみながら、
「都督。それに限るとは、何の事ですか」
と、たづねた。
周瑜は、笑つて、
「訊く迄(まで)もあるまい。孔明を殺すことだ。断じて彼を生かしておけんといふ信念をおれは改めてこゝに固めた」
「理由なく彼を殺せば、一世の非難をうけませう。呉は信義のない国であると謳(うた)はれては、呉のために、どうでせうか」
「いや、私怨をもつて殺すのはいけないだらう。しかし公道を以て、公然殺す方法がなくもあるまい」
数日の後、軍議がひらかれた。呉の諸大将はもちろん孔明も席に列してゐた。かねて企(たく)むところのある周瑜は、評議の末に、ふと話題をとらへて、
「先生、水上の戦ひに用ふる武器としては、何をいちばん多量に備へておくべきでせうか」
と、孔明を顧みて質問した。
「将来は、舟軍(ふないくさ)にも、特殊な武器が発明されるかもしれませんが、やはり現状では、弩弓(いしゆみ)に優るものはありますまい」
孔明の答へを、思ふ〔つぼ〕と、頷(うなづ)いて見せながら、周瑜はなほ言葉を重ねた。
「むかし周の太公望は、自ら陣中で工匠(たくみ)を督して、多くの武器を製(つく)らせたと聞きますが、先生もひとつ呉のために、十万の矢を製つていたゞけまいか。元より鍛冶、矢柄師(やがらし)、塗師(ぬりし)などの工匠はいくらでもお使ひになつて」
「御陣中には今、そんなに矢が御不足ですか」
「されば、江上の大戦となれば、いま貯蔵の矢数ぐらゐは、またゝく間に費(つか)ひ果(はた)して、不足を来すであらうと考へられる」
「よろしい。製りませう」
「十日のうちにできますか」
「十日?」
「無理は無理であらうが」
「いや、あすの変も知れぬ戦ひの中。十日などゝ長い期間をおいては、その間に、どんなことが突発しようも知れますまい。十万の矢は、三日の間に、必ず製り上げませう」
「えつ、三日のうちに」
「さうです」
「陣中に戯言なし。よもお戯れではあるまいな」
「何でかゝる事に、戯れを云ひませう」
「先生は客将とは申せ、軍律は厳として、特別な緩約をなすことはできない。軍令状をもつて、固く三日以内の日限を厳令いたすが、およろしいか」
「もとよりさうあるべきです」
「然らば」
と、周瑜は、すぐ軍政司をよび、諸大将の前で、令状を書かせた。
厳令の日から三日以内に、十万の矢を製らなければ、軍命違背のかどで、罪を問ふことができる。
周瑜は心ひそかに、
(孔明の生命(いのち)も三日のうちになつた……)
愍然(ビンゼン)たるものを彼の姿に覚えながら、評議のあとの酒宴に移つて、独り杯に北叟(ほくそ)笑(ゑみ)をもらしてゐた。
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次回 → 陣中戯言なし(三)(2025年12月2日(火)18時配信)

